若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)は桂浜の近くにある長宗我部元親公ゆかりの神社。22歳の初陣以降、元親は出陣の際には必ずここで戦勝祈願をしていました。
社殿は「出蜻蛉」方式という蜻蛉が飛び立つ姿をしていて、これは元親が定めたもの。近くには「初陣の像」があり、元親ファンなら必ず参拝したい神社です。御朱印にも「長宗我部元親公初陣祈願之宮」という印がありますよ。
若宮八幡宮へのアクセス
県道34号線沿いに案内標識があり、場所はわかりやすいです。海側から曲がるとすぐ一の鳥居が見えますが、ここから境内までは少し距離があります。そのまま通り過ぎて駐車場へ。
高知自動車道高知インターから約15km、桂浜から約3kmの場所にあります。
若宮八幡宮の駐車場
境内入り口のすぐ近くに参拝客が無料で利用できる大型駐車場があります。
公共交通機関でのアクセス
若宮八幡宮の近くには駅がないため、車以外で行く場合はバスを利用します。
・とさでん交通桂浜線に乗車し「南海中学校前」バス停で下車、徒歩5分
若宮八幡宮の御朱印
拝殿の手前に社務所があり、そこで御朱印をいただけます。初穂料は300円です。
右下には「長宗我部元親公初陣祈願之宮」という印があり、元親ファンや戦国武将にゆかりのある御朱印を集めている方におすすめです!
今回は購入しませんでしたが、若宮八幡宮にはオリジナル御朱印帳もありました。
若宮八幡宮の社務所受付時間
若宮八幡宮の社務所受付時間は9:00~17:00までです。
若宮八幡宮について
若宮八幡宮は土佐の戦国武将・長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)公が初陣の際に戦勝祈願をした神社です。
源頼朝が石清水八幡宮から勧請した六條若宮八幡宮を祖父の邸宅跡に創建したとき、土佐国吾川郡全体を六條若宮八幡宮の神領とし、この地に鎮護として分祀したのが始まり。六條若宮八幡宮は文治元年(1185年)に源氏が平氏を滅ぼしたのと同時に創建され、高知市の若宮八幡宮も同じ年に分祀されています。
長宗我部家が没落した後も藩政時代には山内家の祈願所として栄え、「藩主祈願八社」のひとつとして崇敬されました。
現在も高知市南部エリアの総鎮守として崇敬されています。
詳しくは公式サイトで。
若宮八幡宮の御祭神
若宮八幡宮の御祭神はスタンダードな八幡三神。
- 誉田別命(ホムタワケノミコト)=応神天皇
- 息長帯比売命(オキナガタラシヒメノミコト)=神功皇后
- 宗像三女神→市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)、湍津姫命(タギツヒメノミコト)、田心姫命(タギリヒメノミコト)
相殿として高靇神(オカノカミ)を祭祀しています。若宮八幡宮は「雨乞いの神」としても信仰されていて、高靇神は雨の神さまだとか。
長宗我部元親初陣戦勝祈願の地
高知以外の四国三県で神社仏閣をことごとく焼いて回ったことに定評がある長宗我部元親ですが、やはりご当地の戦国武将として高知県ではヒーロー。
22歳の初陣の際、元親は若宮八幡宮の松林に陣をはったそうです。神社から200mくらい離れた場所には「長宗我部元親公初陣の像」もあります。雨だったのでぼんやりしていますが、青空をバックにするとめっちゃかっこいい像ですよ。
この初陣の像は平成11年(1999年)に元親の没後400年を記念して作られました。像の前には大きな四国の地図があり、手を伸ばして掴もうとしている迫力あるポーズとなっています。もうやめて。
若宮八幡宮の絵馬にはこの銅像の絵があります。背後に家紋入りのデザインでかっこいいですね。
銅像の近くには「元親公への手紙」。中にノートがあり、観光客が自由にメッセージを書き込めるようになっています。
どろんこ祭りでも有名
若宮八幡宮では4月の第一土曜日から3日間、「どろんこ祭り」が開催されています。400年以上の伝統がある豊作祈願のお祭りですが、女性が男性の顔に泥をぬりつけるという変わったもの。
2代藩主・山内忠義公が領地検分のためお忍びであぜ道を歩いていたとき、田植えをしていた農民が誤って泥をはねてしまい、袴を汚してしまいました。藩主は無礼討ちにしようとしたお供の家臣を止め、『田植えの時期にこうしたところを歩いた我々が悪い、田植えにいっそう励むように』との言葉を賜り、これを喜んだ農民たちが泥をかけあったのが始まりといわれています。長宗我部時代の地検帳にもお祭りの記載があるため、実際はもっと古くからあると考えられています。
泥をぬられた男性は夏病みしないといわれ、女性にお礼を言う風習があるとか。
若宮八幡宮の見どころ
若宮八幡宮の境内はこんな感じ、奥行きがあります。
狛犬パラダイス
大鳥居の手前にいる狛犬さんは顔まわりがモフモフでキュートです。石なのにこの絶妙なモフっと感、匠の技と言わざるを得ない。
大鳥居の脇には石碑に片足をかけたタイプの変わったポーズの狛犬さん。吽形は顔がパキっと割れてかわいそうでした。
こちらは安政6年(1859年)製です。
元親が壊した鳥居
参道にある大きな鳥居には切ないエピソードがあります。
天正14年(1586年)、豊臣秀吉に従って島津討伐へ向かうとき、元親はいつものように若宮八幡宮で戦勝祈願をしました。このとき、軍旗が鳥居の笠木に引っかかって落ちてしまいます。人々はこれを『不吉だ』としましたが、元親は『敵を笠にかけて討伐する吉兆だ』としてそのまま出陣。結果、嫡男の信親が戦死する惨敗となります。
土佐に戻った元親は憤慨し、鳥居を取り壊して海に流してしまいました。その後、頼りにしていた跡継ぎを失った元親は荒れ果てて長宗我部家は大混乱、1599年に61歳でこの世を去っています。
その後、慶応元年(1865年)に地震があったときに鳥居の台座が浮かび上がり、これは神意であるとして木造の鳥居が再建されました。昭和55年(1980年)にコンクリート製で建て替えられたものが現在の大鳥居です。
手水舎
手水鉢は青銅製、「手水の使い方」の絵があって親切です。
手水舎の近くには「浄め塩」まで置いてあります。なかなか見ないですよね。
五角形の絵馬かけ
若宮八幡宮の絵馬かけは木を囲うように五角形で作られています。
この囲われている木はナギの木で、ナギの木は「力しば」と呼ばれて夫婦和合や所願成就の象徴として昔から信仰されています。
絵馬に混ざって竹ひごでできたっぽい謎のサークルの束、これは何だろう?
しかし、私が参拝したときには槍はありませんでした。雨だったから?もしくは時期的なもの?
亀の台座
絵馬かけのあたりにポツンとたたずむ亀のような石像。この子は中国の伝説上の生きもので、龍の子供です。「贔屓」と書いて「ひき」と読みます。
贔屓は「重いものを背負うのが大好き」という謎の性質を持っていて、贔屓が背負うものは永遠不滅とされるため、昔から石碑や石柱の土台の装飾として使われます。石碑などの台になっているものは「亀跌(きふ)」といいます。
若宮八幡宮の贔屓は何も背負っていませんが、昔は石柱的なものが乗っていたような作りでした。
「出蜻蛉」式の拝殿
蜻蛉は前にしか進まないことから不退転の「勝ち虫」と呼ばれ、縁起がいいと武家に好まれました。
これにあやかり、元親が出陣のとき戦勝祈願をする若宮八幡宮は「出蜻蛉(でとんぼ)」方式で、戦勝の凱旋報告をする土佐神社は「入り蜻蛉(いりとんぼ)」方式で建てられています。勇ましく飛び立った蜻蛉が無事に戻ってくるように、という願いが込められているんですね。
「出蜻蛉」は社殿を蜻蛉のしっぽに見立てて、今まさに飛び立とうとしている蜻蛉の姿になっています。この建築様式は初陣で勝利したとき、元親が定めたものです。
社殿の前から見ると蜻蛉感はぜんぜんわからないのが残念。
拝殿の軒先にある「天下泰平」のランプ、フォントがかわいい。
境内社
若宮八幡宮の境内にはいくつかの摂社・末社があります。
天神宮
本殿と並ぶように「天神宮」があります。
御祭神は水の神さまである天水分大神(アメノミクマリノオオカミ)ですが、菅原道真公という説もあります。
三社神社
手水舎の奥には「三社神社」。「椿神社」や「薬神社」ともいわれます。
御祭神は山の神さまである大山祇神(オオヤマヅミノカミ)、水の神さまである水波能売神(ミズハノメノカミ)、医薬の神さまである少彦名神(スクナヒコナノカミ)の3柱。
社殿の隣にはゴキゲンな装飾の大黒さん(えべっさん?)の像がありました。
三座神社
三社神社の隣には「三座神社」。
御祭神は山の神さまである山祇大神(ヤマヅミノオオカミ)、「お稲荷さん」でおなじみの宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)、七福神の「大黒さん」でおなじみの大国主神(オオクニヌシノカミ)の3柱。
三社神社の大黒さんはこっちにあるべきでは…。
隼人社
若宮霊廟へ抜ける道の端っこにある「隼人社(はやとしゃ)」。
御祭神は福留隼人正(ふくどめはやとのしょう)、長宗我部家の家臣です。いつ頃からお祀りされているのかなど由来は不明ですが、昔から勝負事や首から上の病気に格別の御利益があると信仰されています。
お礼参りとして穴の開いた石を奉納するそうで、社殿の隣にはたくさんの石が掛けられていました。高知ではこの「穴の開いた石を奉納する」というのをよく見かけます。
荒神社
参道の入り口奥に鎮座する荒神社。
御祭神は穀物守護の神さまである大年御祖神(オオトシミオヤノカミ)、土地の神さまである大土御祖神(オオツチミオヤノカミ)の2柱。
まとめ
若宮八幡宮は長宗我部元親ゆかりの神社。御朱印には「長宗我部元親公初陣祈願之宮」という印があるので、元親ファンや戦国武将にゆかりのある神社の御朱印を集めている方におすすめです。オリジナル御朱印帳には長宗我部家の家紋も入っていますよ。
四国八十八か所霊場第33番札所雪蹊寺(せっけいじ)がすぐ近くにあり、こちらは長宗我部家の菩提寺です。境内には嫡男・信親のお墓もあるので、あわせて参拝してみては。