四国八十八か所霊場第38番札所金剛福寺(こんごうふくじ)は高知県の西の端、四国の左下に位置する足摺岬にあります。
ひとつ前の札所37番岩本寺から約80km、次の札所39番延光寺まで約50kmと札所間の距離が長く、四国霊場屈指の難所。。。
とくに、歩き遍路の方には過酷かと思います。
しかし、苦労の末たどりつく価値があるほど見どころいっぱいのお寺ですよ!
最新参拝日は【2023年12月8日】です
金剛福寺へのアクセス
Googleマップからも感じる最果て感…。
宿毛からは道中に標識や看板がたくさんあるので、意外と迷わずたどりつけます!
- 四万十町中央ICから90分(約87km)
金剛福寺の駐車場
お寺の前に無料の駐車場があります。
こちらは足摺岬灯台と共通のようですが、20〜30台くらいは止められそうなので、観光シーズンでよほど混雑していなければ余裕で駐車可能。
公共交通機関でのアクセス
こんな足摺岬の先端とか、車以外じゃ無理やろがい…!と思いきや、意外と路線バスがありました。
たぶん本数は少なめだと思うので、利用する場合は時間をしっかりチェックしてくださいね。
- 高知西南交通 足摺岬行きバスに乗車、「足摺岬」バス停から約100m
前後の札所
- 37番札所岩本寺から80.7km
- 39番札所延光寺まで50.8km
岩本寺から38番金剛福寺までの距離が四国霊場のお寺間で最長となります。終盤にこれ持ってくるとか、修行の道場の修行が本気すぎるよね。
さらに、次の39番までもそこそこの距離。車でもかなりきついので、歩きの方は本当にお疲れさまです。。。
足摺岬、マジ岬…宿毛からの修行感が半端ないです。
金剛福寺の御朱印
金剛福寺の納経所は本堂の向かいにあります。
字は達筆すぎて読めないやつ😂
四国霊場のお納経は右上に「奉納」、真ん中に御本尊、左下に寺号や院号、山号が基本スタイルですが、左下マジ読めない。山号か…?
真ん中の印は波間に亀がいて、弘法大師伝説(足摺岬の沖にある島に渡るために亀を呼んだ的なやつ)を表していると思われます。
金剛福寺の御影
清瀧寺で納経をすると、御本尊のお姿を描いた御影(おすがた・おみえ)が無料でいただけます。
センターに御本尊の千手観音、脇仏の毘沙門天と不動明王もしっかり描かれていますね。
カラーのお姿をいただく場合は別途200円が必要です。
金剛福寺について
寺伝によれば、弘仁13年(822年)に、嵯峨天皇から「補陀洛東門(ふだらくとうもん)」の勅額を受けた空海(弘法大師)が、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建てて安置し開創したという。空海が唐から帰国の前に有縁の地を求めて東に向かって投げたといわれる五鈷杵は足摺岬に飛来したといわれている。寺名は、五鈷杵は金剛杵ともいわれそれから金剛を、観音経の「福聚海無量」から福を由来したとされている。金峰(きんぽう)上人が住持の時、修行を邪魔する魔界のもの達を呪伏すると、そのもの達が蹉跎した(地団太を踏んだ)ことから、山号を月輪山から蹉跎山に改めたといわれる。
歴代天皇の祈願所とされたほか、源氏の信仰が篤く、源満仲は多宝塔を寄進、その子頼光は諸堂を整備した。平安時代後期には観音霊場として信仰され、後深草天皇の女御の使者や和泉式部なども参詣している。
鎌倉時代後期(建長から弘安期)には南仏上人が院主となって再興したと伝えられ、また阿闍梨慶全が勧進を行ったとも伝えられている。南仏を「南仏房」と記す史料もあり、南仏(房)は慶全の別名であったとみられる。
室町時代には尊海法親王が住職を勤め、幡多荘を支配していた一条家の庇護を受けた。戦国期に一時荒廃したが江戸時代に入って土佐藩2代藩主山内忠義が再興した。(Wikipedia金剛福寺より引用)
金剛福寺は822年の創建で、1200年の歴史があるお寺です。嵯峨(さが)天皇から「補陀落(ふだらく)東門」の勅額を賜り、弘法大師が御本尊の三面千手観世音菩薩を刻んで安置したと伝わります。
ちなみに、嵯峨天皇は書道家としても高名で、弘法大師や橘逸勢と並ぶ平安時代の「三筆」と称されていました。
「補陀落」は観音菩薩が住む世界のことで、南海の果てにあるといわれています。ご存知のとおり、金剛福寺がある足摺岬は四国の南西の端の端の最先端。
お寺の前には雄大な太平洋が広がりますが、対岸は見えません。この海の先には本当に観音さまが住むという補陀落があるのでは…?と思えるような景色でした。
また、Wikipediaには「空海が唐から帰国の前に有縁の地を求めて東に向かって投げたといわれる五鈷杵は足摺岬に飛来したといわれている。」とあります。
唐から帰国するとき、お大師さんが密教の法具である独鈷杵・三鈷杵・五鈷杵の3つを投げたというのは有名なエピソード。そのうち、五鈷杵が飛来した足摺はお大師さんにゆかりの深い地なので、ここにお寺が作られたのも納得ですね。
写真は四国別格二十霊場第2番童学寺にある絵。まさに飛んでけ〜と投げたその場面です。
正式には蹉跎山(さだざん)補陀洛院(ふだらくいん)金剛福寺(こんごうふくじ)といい、真言宗豊山派のお寺です。
足摺岬の七不思議
駐車場には「四国最南端」と書かれた、小さな足摺岬の灯台モニュメントがあります。
ミニ灯台の奥に見える銅像はジョン万次郎の後ろ姿です。なぜか前からは撮ってなくて…なんでだよ。
また、室戸岬にもありましたが、足摺岬にも弘法大師にまつわる七不思議があります!
- ゆるぎ石…弘法大師が金剛福寺を建立した時発見した石。乗り揺るがすと、その動揺の程度によって孝心をためすといわれています。
- 不増不滅の手水鉢…賀登上人と弟子日円上人が補陀落に渡海せんとしたとき、日円上人が先に渡海していったので非常に悲しみ、落ちる涙が不増不滅の水になったといわれています。
- 亀石…この亀石は自然石で、弘法大師が亀の背中に乗って燈台の前の海中にある不動岩に渡った亀呼場の方向に向かっています。
- 汐の満干手水鉢…岩の上に小さなくぼみがあり、汐が満ちているときは水がたまり、引いているときは水がなくなるといわれ、非常に不思議とされています。
- 根笹…この地に生えている笹はこれ以上大きくならない笹だといわれています。
- 大師一夜建立ならずの華表…大師が一夜で華表(とりい)を造らせようとしたが、夜明け前にあまのじゃくが鳥の鳴真似をしたため、夜が明けたと勘違いし、やめたといわれています。
- 亀呼場…大師がここから亀を呼び、亀の背中に乗って前の不動岩に渡り、祈祷をされたといわれています。
- 大師の爪書き石…これは弘法大師の爪彫りといって、「南無阿弥陀仏」と六字の妙号が彫られています。
- 地獄の穴…今は埋まっていますが、この穴に銭を落とすと、チリンチリンと音がして落ちて行き、その穴は金剛福寺付近まで通じるといわれています。
(引用:土佐清水市ホームページ 観光地情報「足摺の七不思議」)
七不思議なのに9つあるのも七不思議でしょうか…(違う)
足摺岬全体を散策しようとするとけっこう時間かかるけど、なかなか行ける場所じゃないので、ぜひ七不思議を見つけてみてください!
金剛福寺の御本尊
御本尊は三面千手観音、脇仏は不動明王と毘沙門天です。
普段は拝顔できませんが、お正月の三が日には御本尊の御開帳があるそうですよ。
金剛福寺の見どころ
金剛福寺で個人的に気になる&おすすめの見どころを写真つきでご紹介します!参拝される前にチェックして、参考になさってくださいね。
仁王門
駐車場からお寺へ向かうと、立派な仁王門が迎えてくれます。この門は寛文4年(1664年)、土佐国二代目藩主・山内忠義の寄進で造られたものだとか。
玉垣には「南無観世音」「補陀落東門」とあります。現在も門の扁額は「補陀落東門」ですが、これはさすがにレプリカです…よね…?
土佐清水市観光協会ホームページによると、「左右の金剛力士は安芸宮島の仏師・空源の作といわれます。」とのことですが、「空源」で調べると僧侶しか出て来ない。
誰なの空源…ちょっと謎な人です。
その空源作の金剛力士、まあまあのクセで好き。
門前には参道沿いに蓮池があり、極楽浄土感があります。これは蓮が咲く季節に行ってみたくなりますね。
手水
門を入ると左側に手水鉢があります。花崗岩製で長さ153cm、幅78cm、高さ75cmある大きな手水鉢で、こちらも仁王門と同じく二代目藩主・山内忠義が寛文4年(1664年)に寄進したものだとか。
鉢のセンターには山内家の家紋である「丸に三つ葉柏」がしっかりと刻まれていました。
が、手水鉢よりその奥の二階建てドラゴンが気になりすぎて、かんじんの鉢の写真がないという失態。
本堂
仁王門を抜けると、山を背にして本堂があります。
本堂の前には大きな池があり、さらに極楽浄土の雰囲気増し増し!風がなければいい感じのリフレクション写真が撮れそうでした。
金剛福寺の境内は12万坪あり、四国霊場でも屈指の広さなんだって…!
池の手前でやたらと目立つ亀は「諸願成就の亀」というそうです。
なるほど、賢そうな顔しとる。
亀ミーツ弘法大師。
本堂向かって右側には護摩堂や多宝塔がありますが、なぜか行ってない。多宝塔の奥には芭蕉の句碑と和泉式部の逆修塔があるとか。
調べた限りでは和泉式部と金剛福寺の関係がいまいちわかんないんですが、鎌倉時代に作られたもので、和泉式部の頭髪が納められているそうです。
大師堂
大師堂は池の奥、本堂からちょっと離れた位置にあります。
お厨子には彩色のあるお大師さんの尊像が安置されていて、拝顔できます。
お賽銭箱の上にはビッグ五鈷杵。
さすが南国、大師堂周辺にはクワズイモの葉っぱがワッサーってしてました。
このクワズイモかはわかりませんが、足摺岬のクワズイモ群は土佐清水市の天然記念物に指定されています。
愛染堂
本堂のすぐ隣には愛染明王を祀る「愛染堂」があります。
こちらは扉が閉まっていて中は見えませんでしたが、愛染明王像は高さ84cmの平安時代後期作で、高知県指定保護有形文化財となっています。
愛染堂の扁額は文字が緑って珍しいような…そしてなかなかのクセ強文字。
神変大菩薩
たくさんの仏さまに包まれて「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」が祀られたお堂がありました。
扉は閉まっていて、中は見えませんが神変大菩薩=役行者(えんのぎょうじゃ)像が祀られているようです。
たくさんの仏像
金剛福寺の境内には仏像がいっぱい!等身大まではいきませんが、結構大きなサイズですごい迫力でした。
山裾やお堂の奥、本堂奥にも数えきれないほどの仏さまがいらっしゃいます。もうマジ極楽浄土。
これは立体曼荼羅的なものかと思ったんですが、同じ仏さまが隣あってたりするから…上の写真はダブル千手観音ですよね。
仏さまは蓮に乗ってたり象に乗ってたり獅子に乗ってたり。この象ライダーは普賢菩薩かなぁ。
Wikipediaによると五智如来・十三仏・千手観音など108体の仏像があるそうです。
権現堂
御祭神は不明ですが、権現堂があります。
調べてみると「鎮護には熊野三所権現・愛満・宝満・白皇・白山等を勧請し奉る」という記述を見つけました。
こちらには熊野三所権現がお祀りされているようです。
鐘楼堂
鐘楼はお堂の中にありました。鐘楼門のような雰囲気ですが、お堂なのが珍しい形式ですね。
釣鐘は仁王門や手水鉢と同じく二代目藩主・山内忠義が寄進したもので、高さは132cm、下部の口径は95cmあり、土佐清水市の有形文化財に指定されています。
左に見えるのは赤と白の建物は「釈迦堂」で、こちらは扉が閉まっていました。
渡海僧之碑
駐車場からお寺へ向かう途中、池の中にポツンと「渡海僧之碑」があります。
渡海=補陀落渡海(ふだらくとかい)のこと。
補陀落渡海は平安時代から江戸時代にかけて日本で行われていた「捨身行(しゃしんぎょう)」の一種。その方法は、南方に海が開けた場所から行者が小舟に乗りこみ、伴走する船が沖まで曳いて綱を切り、行者を見送るというものです。
行者が乗った小舟はすべての戸が釘で打ち付けられるため、二度と外には出られません。
舟の中のわずかな水と食料が尽きるまで、読経をしながら海を漂流するという、命をかけた過酷な修行です。
もちろん、舟に無理矢理乗せられるわけではなく、行者が自分自身や民衆の救いを求めるために行うものです。
歴史上では50例ほど補陀落渡海の記録が残っていて、本場は和歌山県の補陀落寺ですが、足摺でもたびたび行われました。
足摺での最後の渡海は明治時代なんだって…!
金剛福寺の門前から見えるのは、果てしなく続く水平線。
南海の果てにあるといわれる観音さまの浄土…四国の南西の端っこにある足摺岬は、観音さまに救いを求めて旅立つにはもってこいの場所だったんでしょうね。
まとめ
金剛福寺は足摺岬の先端にあるお寺で、37番札所からの札所間距離が四国霊場で最長の距離を誇る難所です。
お寺は雄大な太平洋に面していて、南国ムードが漂う境内は見どころも多く、周辺には足摺岬灯台や白山洞門など観光スポットもあるので、参拝の後はゆっくりと散策してみてくださいね。
《参考》
- 土佐清水市観光協会 第38番札所金剛福寺