861年(貞観3年)、讃岐巡礼中の円珍が井原庄に着いた時、鳩峰大自在王菩薩が現われて井原庄を鎮護すると云った。このため円珍はこの地の里人の力を借りて、宝蔵寺を建てた。1357年、細川頼之が厚く保護・尊崇し京都石清水八幡宮の冠纓を奉納した。このことから冠尾(かむりお、またはかむろ)八幡宮と呼ばれるようになり、後に冠纓神社となる。現在も地元の人は「かむろ」と呼んでいる。以後も細川氏による信仰・保護を受け、細川氏が衰えた後も由佐氏がこれを引き継いだ。後に讃岐国を支配した生駒親正や松平頼重も社領の寄進をするなど当社を保護している。
明治に入ると郷社に列格し、1907年、神饌幣帛料供進神社にも指定されている。1918年には県社に昇格した。1970年、獅子舞に使用される大獅子が県の有形民俗文化財に指定される。1977年、古来よりの自然が残る鎮守の森が香川県自然記念物に指定された。1982年、万葉集天治本が発見され、重要文化財に指定された。

Wikipedia冠纓神社より引用)