黒島(くろしま)神社は讃岐国に24ある式内社のひとつ。近くには交通量の多い道路がありますが、境内はやや奥まった場所にあるので、昼間でもシーンと静まり返っています。
広い境内は鎮守の森の木々に囲まれ、まさに「鬱蒼とした」という雰囲気。実は、社名の「黒島」も”社叢(しゃそう)の茂り具合から当地の人々が黒い島に見立てたため”といわれていて、それが実感できる場所でした。
黒島神社へのアクセス
幹線道路からやや奥まった場所にあり、入り口が少しわかりにくかったです。
黒島神社の駐車場
駐車場はなく、境内に停める形でした。料金は不要。
公共交通機関でのアクセス
最寄り駅からの距離があり、路線バスのバス停もないので車以外でのアクセスが困難です。
・JR観音寺駅から約4km
本数が少ないですが、観音寺市の「のりあいバス」があります。
- 市内循環線「池之尻郵便局前」バス停から約300m
- 粟井姫浜線「粟屋」バス停から約400m
利用方法や時刻表など、詳しくは観音寺市ホームページでご確認ください。
黒島神社の御朱印
黒島神社の御朱印は本務社の粟井神社でいただけます。詳しくは後述。
黒島神社について
黒島神社は、創建年代は詳らかではないが、清和天皇貞観式(八七一年) 讃岐國五社の一と伝えられ 延喜式(九二七年)讃岐國二十四社の一として 県内有数の格式を誇り 古より地域内外を問わず深い信仰を集め 明治五年 村社に列し 大正六年郷社に昇格 その神威高きたたずまいを損なうことな く 今日までこの地の産土神として 変わらぬ崇敬を寄せられている
御祭神は闇山津見神・瀬織津姫神の二柱を祀る
旧社殿は、明治二十七年の大火の折造営され 爾来幾星霜を経て老朽損傷 が甚だしく 氏子崇敬者より社殿建設を望む声が高まり奉賛の寄進を得て 本殿の屋根葺替 修築 釣殿 幣殿 拝殿の新築並びに参道整備に取り組み 着工以来二年 斯くも厳しく成し終え 後世に誇るべき平成の造営として 茲にめでたく竣工に至った(現地記念碑より引用)
黒島神社は正確な創建年は不明ですが、貞観式(871年)と延喜式(927年)に記載がある古社。昔から地域住民に篤く信仰されています。
記念碑には”清和天皇貞観式(八七一年) 讃岐國五社の一と伝えられ”とありますが、「讃岐國五社」についてはネットでは情報が得られず…。他の4社はどこでしょう?しかし、延喜式内社よりも前の時代から讃岐を代表する神社として認識されていたということなので、歴史はかなり古そうです。
黒島神社の御祭神
黒島神社の御祭神は闇山津見神と瀬織津姫神の2柱。
闇山津見神(クラヤマツミノカミ)はあまりメジャーな神さまではないですが、火の神・加具土神(カグツチノカミ)の死体から生まれた神。カグツチは伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉諾尊(イザナミノミコト)の間に生まれた最後の神ですが、火の神を生んだことでイザナミは死んでしまいます。イザナギは愛する妻を亡くしたことで、その原因となったカグツチを切り殺しました。カグツチかわいそう🥺
この神を主祭神としてお祀りしている神社はおそらく全国的にもほとんどなく、かなり珍しいのでは。
もう1柱の御祭神、瀬織津姫神(セオリツヒメノカミ)は古事記・日本書紀には出てこない謎めいた神で、天照大神の荒魂ともいわれます。
また、セオリツヒメは「祓戸大神(祓戸四神)」の1柱で、水の神でもあります。
セオリツヒメはもともとは池宮神社の御祭神で、明治時代に黒島神社へ合祀されました。池宮神社は黒島神社の500mほど南にあったそうです。
また、平成祭データによると、
丸亀藩、甲斐国の或川堀御普請申付けられ工事難行せし時、藩主佐渡守高矩公の枕辺に黒嶋、池之宮二神お立ちになり、「紫の幕張り工事取進めよ、たやすく成就いたすべし。」とのお告げあり、早速にも取り計えば思いのほか早く完成。よって宝暦五年(一七五五)六月二十六日、御供田十石五斗四升二合の寄進あり。
また将軍家より悍馬賜りし時、或夜夢にて「吾は領内にある黒嶋大神なり。」と告げ給い、奇瑞のことなるによって、万延元年(一八六〇)に至り御供田拾石を寄進せしと旧記にある。
明治維新の際、村社に列せられ、同四十年十月二十四日、神饌幣帛料供進神社に指定、大正六年、郷社に昇格。
鎮座縁起年代は不詳であるが、延喜式内讃岐二十四社の一であるから当時の御神威が想像されると云える。
とあります。黒島神社と池宮神社の二神が難工事に悩む丸亀藩主(京極高矩、きょうごくたかのり)の夢枕に立ってアドバイスをし、見事解決したという伝承が残っているそうです。
この時期にはまだ池宮神社は黒島神社に合祀はされていなかったですが、二神で仲良く出現したのが不思議🤔現在も鳥居や本殿の扁額には両社が併記されているので、どちらも地域で重要な同格の神さまということですかね。
黒島神社の見どころ
長い参道
一の鳥居は神社から200mくらい離れた場所にひっそりとあります。参拝したとき、鳥居奥の畑はコスモスがたくさん咲いていてきれいでした。10月下旬~11月中旬の参拝ならちょうど見ごろかも。
扁額は「黒島神社・池宮神社」となっています。この鳥居前には御旅所もありました。
社号標では「黒嶋神社」となっていて、正解は「黒島」なのか「黒嶋」なのかいまいちわかりません。この表記ゆれ具合、何とかならんものか😂
この社号標は道路沿いにあるので神社入り口の唯一の目印なんですが、あまり目立たず最初は通り過ぎてしまいました。。。
神社側から見ると、一の鳥居は遠すぎて見えないくらい参道が長いです。幹線道路から離れたとても静かな立地で、周辺は住宅も少なくて畑が広がっていました。
こちらが境内入り口です。
入り口から社殿まではまだまだ距離があり、鎮守の森に囲まれているため遠目では昼間でも薄暗く、ちょっと不気味に感じるかもしれませんね。おそらく昔はもっと木々が茂っていて建物も少なかったでしょうから、”社叢が黒い島に見えた”という由来も納得できます。
車の場合はこのまま奥に入り、車止めの手前で右奥に入ると駐車できるスペースがありました。
狛犬
けっこう境内が広い神社ですが狛犬はこの一対だけ、ものすごい高い台座に乗っていました。奉納された年代は読み取れませんでしたが、躍動感ある尻上がりタイプのかわいい狛犬さんです。
センサー式手水舎
黒嶋神社は手水舎がピカピカで、社殿の修復に合わせて新調されたっぽいですね。
こちらの水口は近代的なセンサー式なんですが、感度が良すぎて少し近づいただけで水が出ます。上の写真を見てください、この距離でもうジャージャー出てました。
水口の龍さん、改めて写真で見るとけっこう個性的なお顔ですが、現地ではじっくり見れませんでした(水がもったいないので)。あなた、こんなキュートな顔だったのね…。
扉がまぶしい社殿
社殿は平成14年(2002年)に修復されたもので、まだ新しい感じがしました。扉にある金色のピカピカな細工が美しく、黒島神社の格の高さがうかがえますね。
やっぱりここにもあった、延喜式内讃岐二十四社の額。24社のうちの6社、4分の1が観音寺市内にあります。現在の香川県は高松市を中心に栄えていますが、昔は県西部の観音寺市が讃岐国の中心でした。
賽銭箱には三つ巴の御神紋があります。こちらもピカピカ。
こちらは御本殿、扁額は「黒島神社、池宮神社」となっていました。本殿も細かな彫刻があり、ゴージャスな造りでした。本殿周りの玉垣はヴィンテージ感があり、昔からあるもののようです。
横からの眺め。威風堂々とした立派な社殿ですね。
境内社いっぱい
黒島神社は社殿を囲むように小さなお宮がたくさん並んでいます。とくに由緒書きもなく、扁額もないのでそれぞれどんな神さまがお祀りされているのかはわかりません。
社殿に向かって右側には2つのお宮が並んでいます。こちらは古くからありそうなしっかりとした台座があり、左側に並んでいるお宮とは格が違う感じがありました。どちらも屋根には立派なシャチホコが乗っています。
ネットの情報では「境内社に池神社、荒魂神社、若宮神社や、他にも小祠がいくつかある」とありましたが、この右側にある比較的大きなお宮が池神社、荒魂神社、若宮神社のどれかですかね。
向かって左側には小さなお宮と石の祠が所せましと並んでいます。御本殿に近いほど小さいながら立派なお宮にお祀りされていて、中には専用の御神燈付きのお宮もありました。
手前には石の祠がたくさん並んでいます。一部は名前がわかる神さまもあり、こちらは「筒井大明神」とありますが、祠もなく石だけ。これは…むき出しで大丈夫なやつでしょうか。
石の祠はお世話をする人がいなくなってしまった集落などから移されたものですかね。黒島神社周辺はそれなりに栄えていましたが、意外と過疎化が進んでいるんでしょうか。。。これからは小さな祠の神さまたちも黒島神社でたくさんの人にお参りしてもらえますように。
まとめ
黒島(黒嶋)神社は観音寺市に6社ある式内社のひとつで、とても歴史ある神社です。広い境内は鬱蒼とした木々に囲まれ、遠くから見るとまさに「黒い島」という感じでした。
境内に社務所っぽい建物がありますが普段は無人なので、御朱印は粟井神社で。
おすすめのお立ち寄りスポット
粟井神社
黒島神社の御朱印がいただける粟井(あわい)神社も讃岐国に24ある式内社のひとつで、「名神大社」というとても格式が高い神社です。境内には3000株のあじさいが自生していて、「あじさい神社」として親しまれています。
黒島神社から粟井神社までは車で10分程度で、公共交通機関での移動は難しいです。