徳島県松茂町|中喜来春日神社のかわいい御朱印♡和傘や花手水も人気です

徳島の御朱印

中喜来(なかぎらい)春日神社は松茂町に鎮座している神社です。交通量の多い国道11号線沿いにありますが、木で囲まれているので一歩境内に入るととても静か。

境内のかざぐるま(春・夏)や和傘(秋・冬)、花手水などかわいい飾りつけで人気の神社です✨

正式には「春日神社」ですが、同名の神社が県内・町内に複数あるため、わかりやすく地名をつけて「中喜来春日神社」としてご紹介します。

 

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中喜来春日神社へのアクセス

中喜来春日神社
〒771-0212
徳島県板野郡松茂町中喜来牛飼野西ノ越

 

交通量が多い国道11号線沿いなんですが、道路に沿って高めの塀があるのでここに神社があると気づかないかもしれません。

徳島市内方面からの場合、「たらいうどん山のせ松茂店」が見えたらすぐです。

  • 徳島自動車道 松茂スマートICから車で約5分
  • JR徳島駅から車で約20分

中喜来春日神社の駐車場

駐車場はありませんが、境内に乗り入れ可能で、参道などに自由に止めていいそうです。

また、神社前の道路は行き止まりになっている部分があるので、参拝だけの短時間ならここも止められます。

 

2台くらいはいける

公共交通機関でのアクセス

松茂町には鉄道の駅はないので、公共交通機関でのアクセスならバス一択。本数はかなり少ないので、利用する場合は事前に時刻表をしっかり確認してください。

  • 松茂ニュータウン北(徳島バス鳴門線)
  • 松茂ニュータウン南(徳島バス鳴門線)

バス停同士のちょうどまんなかくらいですが、松茂ニュータウン南の方が気持ち近い気がする。

中喜来春日神社の御朱印

中喜来春日神社の御朱印

拝殿に書置き御朱印が置いてあり、セルフ拝受するスタイルです。御朱印は通常バージョンと季節バージョンの2種類あり、誕生月ごとにお誕生日御朱印もあります。

こちらは通常バージョンで、松茂町の文化財である藍舟のスタンプ入りです。

※現在はデザインが少し変わりました。

藍舟はそのままに、紫色で社紋が入ってちょっとカラフルな感じになりました。

 

中喜来春日神社の御朱印

季節バージョンは今のところ春・夏・秋・冬で変えているそうで、立秋や立冬などのタイミングで切り替わるそうです。

こちらは令和5年の冬の御朱印で、椿の花と雪だるま、春日神社の神使である鹿のデザインです。

 

そこはかとなくクリスマスっぽい

中喜来春日神社は境内に宮司さんのご自宅や社務所がありますが、松茂・鳴門エリアで複数の神社を兼務されているため、神社にはほとんどいらっしゃらないそうです。

御朱印担当は奥様で、いらっしゃる場合は御朱印帳への直接記帳も可能だとか。御朱印対応日については中喜来春日神社の公式インスタグラムで告知されているので、参拝前にチェックしてみてください。

中喜来春日神社について

中喜来春日神社の由緒書き

天正二年九月九日創立 春日大明神と公称し寛永十七年に造営す 当中喜来浦は古昔漁業を専業していたので他へ賽神することが出来なかった そこで祠を建て神号を勧請した 明暦年間に改め天明壬寅年二月京都の吉田神社へ奉願し神名簿に登載せらる 特に三條候の御神号額と御染筆を附与せらる神殿は承應年間に再築し明治五年三月春日神社と改称す その後明治三十一年三月三十日に改築せしも老朽化のため昭和八年幣殿拝殿を改築す 明治三十九年勅令第九十六号に依り神饌幣帛料を供進することを得る神社に指定され明治四十一年七月内務省令第十二号第三章会計に関する規定を適用すべき神社に指定さる 昭和四十九年十月二十六日四百年祭を施行す

(拝殿内由緒書きより引用)

中喜来春日神社は天正2年(1574年)の創建といわれ、400年以上の歴史がある神社です。

昭和60年(1985年)、国道11号バイパスの開通で境内がかなり狭くなり、社殿などの大改築があったとか。

山間部でもないのに境内に杉の木が多いのは、改築したときに木がすぐ育つようにと植えたからだそうです。

中喜来春日神社の御祭神

中喜来春日神社の御祭神は、由緒書きによると

  • 天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
  • 建御賀豆知命(タケミカヅチノミコト)
  • 伊波代主命(イワイヌシノミコト)
  • 比賣神(ヒメガミ)
  • 天照大神(アマテラスオオカミ)

の5柱。

奈良県の春日大社をはじめ、春日神社といえば天児屋根命を主祭神に、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)・経津主命(フツヌシノミコト)・比売神(ヒメガミ)の4柱を「春日神」としてお祀りしているのが一般的です。

由緒書きでは「伊波代主命」となっているのですが、徳島県神社誌では「伊波比主命」となっていました。ちなみに、イワイヌシとフツヌシは同じ神とされているので、微妙に違うメンバーかと思いきやちゃんとスタンダードな春日神です。

さらに、徳島県神社誌によると、事代主命(コトシロヌシノミコト)と市杵島姫命(イチキシマヒメノミコト)も合祀されています。

中喜来春日神社の見どころ

中喜来春日神社で個人的に気になる&おすすめの見どころを写真つきでご紹介します!

参拝される前にチェックして、参考になさってくださいね。

鳥居と参道

中喜来春日神社の鳥居

中喜来春日神社は国道沿いに南北に細長い境内で、南向きに鎮座しています。

鳥居脇には蘇鉄がワサワサしていて、なんだか南国っぽい雰囲気でした。

推したい狛犬

鳥居をくぐってすぐの狛犬さんはたれ耳がかわいいタイプ💕こちらは江戸時代後期に奉納されたもので、100年ほど前のものです。

こちらの吽形がかわいくてお気に入り。

 

推し狛犬です

 

ただ、こちらの狛犬さんは庵治石でできているため崩れやすく、次の100年はもたないだろうとのこと…台座も少し割れてきていますね。。。

手水舎

中喜来春日神社の手水舎はいつもかわいらしく季節の飾りつけをされています✨

花手水や飾りつけの変更についても公式インスタグラムで告知されているので、チェックしてみてください。

社殿

中喜来春日神社の社殿

新しい雰囲気のコンクリート製の社殿はおそらく昭和60年(1985年)の道路拡張時に建てられたものと思われます。

社殿前の狛犬さんも新しい感じでした。

境内社いっぱい!

中喜来春日神社は境内社がいっぱいあります。

拝殿向かって右側には

金毘羅神社・住吉神社・水神社・天神社の4社が。

拝殿向かって左側には

野神社・天神社・久那戸神社・山神社・事代主神社・大国主神社・岩崎神社の7社が。岩崎神社は写真では見切れています💦

天神社が2つあるので、おそらく別々の場所から集められたのかな。

 

写真撮ってないですが、拝殿向かって左側の境内社群の横に厄玉割りコーナーが新設されています。

安政南海地震の様子を記した「敬渝碑」

拝殿から左奥へ進むと、何やらいかつい巨大な石があります。

こちらは「敬渝碑(けいゆひ)」といい、高さ173cm・幅130cm・厚さ74cmの圧倒的存在感。松茂町有形文化財&徳島県指定史跡となっています。

 

「敬渝(けいゆ)」とは「変をおろそかにしない」という意味で、この石には安政南海地震(1854年12月24日発生)の様子が漢詩で刻まれています。

震災の2年後の安政3年(1856年)に、藍商で地元の庄屋でもあった三木與吉郎光治が奉納しました。

漢詩の内容は神社のお隣にある呑海寺の住職・夢巌観が起草したものです。

200年近く前のものとは思えないほどくっきりはっきり文字が残っていますが、漢詩なので内容はいまいちわかりません。。。

 

読めるのに読めない…

 

地震当日の建物の倒壊・火災・液状化などの状況や被害にあった人々の様子のほか、地震翌日には「津波が来る」という噂が流れて生き残った人々が慌てて避難したこと、土佐や大坂など近隣諸国の被害状況も詳しく書かれているようです。

 

レキシルとくしまのHPに現代訳があったので、興味があれば読んでみてください。

中喜来春日神社敬渝碑|レキシルとくしま

 

敬渝碑の題字は徳島藩の儒学者・新居水竹(にいすいちく)が揮毫しています。

新居水竹は幕末の徳島藩のリーダーとして活躍した人物で、書の達人として知られていました。「阿波の幕末三筆」に数えられる(諸説あり)ほどの腕前で、たしかにめっちゃ達筆です✨

 

印刷したみたいな美文字でした

 

ものすごい余談ですが、新居水竹は明治3年(1870年)の「庚午事変(こうごじへん)」によって日本の刑法上で最後の切腹刑を遂げた人物でもあります。

庚午事変は「稲田騒動」とも呼ばれ、徳島藩の家老・稲田家の家臣団によって起こった淡路藩分藩運動に対し、一部の徳島藩士が激高して襲撃。稲田家側に多数の死傷者が出た明治初期の徳島藩の大事件です。

新居水竹は襲撃には直接加わってはいないのですが、藩士たちの暴走を止められなかった責任を取って切腹しました。

藍商とゆかりが深い神社

社殿の奥に進むと、新たなお宮「大国玉神社」があります。専用の鳥居や狛犬さんもいて、他の境内社より立派でした。

こちらは敬渝碑を建立した藍商・三木家の守り神だとか。

 

地域の庄屋でもあった三木家は藍で財を成し、寛政元年(1789年)には江戸・日本橋にも進出。

 

現在も三木産業株式会社として続いています

 

中喜来春日神社の近くには東京浅草の浅草寺から勧請した聖観音を祀る「中喜来観音堂(なかぎらいかんのんどう)」がありますが、こちらも三木家が勧請したものです。

弊社創業家である三木家、その第八世與吉郎政治は、江戸で藍商に励みながら、浅草観音に深く帰依していました。
続く第九世與吉郎光治も、先代に負けず帰依者で、浅草寺管主様に特にご親交を頂き、明治10年(1877年)3月、徳島県板野郡松茂町に開眼供養修法のうえ、建立遷座賜り、「東京浅草寺分院 中喜来観音堂」として今日に至っています。
(三協商事株式会社 Sankyo−Voice 第144回「浅草寺分院中喜来観音堂」より引用)

 

寺号標にもはっきりと「東京浅草寺分院」と書かれていますね。

 

浅草寺の分院は日本でここだけなんだって!

 

本家の浅草寺のような門前町や大勢の観光客の姿はありませんが、御利益は同じです。

中喜来春日神社とあわせて参拝してみては。

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