大御和(おおみわ)神社は徳島市の西部、国府町にあります。
近くには四国八十八か所霊場第16番札所観音寺があり、17番札所井戸寺へ向かう道沿いにあるので、お遍路さんなら「そういえば、途中に神社があったな🤔」とピンとくるのでは。
「国府宮・府中の宮(こうのみや)」とも呼ばれるとても古い神社で、御神紋はレトロな「鍵」。大御和神社で”国璽(こくじ)の印と国庫の鍵を守護した”と伝わっていて、古代はこのあたりが阿波国の中心地でした。
大御和神社でも御朱印をいただくことができますが、直書き対応は宮司さんがいらっしゃる場合のみ。ご不在の場合は書置き御朱印をいただけます。
大御和神社へのアクセス
国道192号線沿いにあるファミリーマート国府店を南に入るとすぐ見えてきます。
大御和神社の駐車場
駐車場はありませんが、境内に駐車可能。料金は無料です。
公共交通機関でのアクセス
車以外で行く場合、JRとバスが利用できます。
・JR徳島線府中駅から約800m、徒歩10分
・徳島バス天の原西行き又は神山線に乗車し「府中宮前」バス停で下車、すぐ
大御和神社の御朱印
境内に社務所がありますが、ふだんは無人。社務所玄関にはご自宅の住所と電話番号が掲示されているので、直書き希望の場合は問い合わせてみてください。
大御和神社の宮司さんは以下の神社も兼務されています。
- 井上八幡神社(徳島市国府町)
- 豊崎八幡神社(徳島市名東町)
大御和神社→井上八幡神社のルート
大御和神社から宮司さん宅までは車で10分程度、最短で2.4kmです。車以外だとちょっと厳しい距離…かな。
井上八幡神社の道路を挟んだお向かいが宮司さん宅ですが、とくに「八幡神社社務所」のような表示はないのでわかりにくいかも。
大御和神社について
延喜式内小社で「府中の宮」と親しまれている。
王朝時代国司政庁が此の地におかれ阿波国古代の祭政の中枢となり、その国府の鎮守として、累代国司の崇敬が厚かった社である。
本社は国璽の印及び国庫の鑰を守護せられし神徳により印鑰大明神とも称したと伝えられる。「印鑰」即ち国司の宮印と諸司の蔵のかぎが紛失せぬように祈り、又神社の中に保管したという。
明治三年大御和神社と奉称し同五年郷社に列せられ昭和十一年県社に昇格した。(現地由緒書きより引用)
大御和神社が鎮座するエリアは「国府(こくふ)町」「府中(こう)」という地名で、古代はこのあたりが阿波国の中心地でした。今は徳島市の西の端っこになるので、それほど目立たない地域ですが。。。
「印鑰大明神とも称したと伝えられる」とありますが、印鑰(いんやく)→国のハンコと国庫の鍵のこと。大御和神社に国のハンコや鍵が保管されていたため、”国府の鎮守”として歴代国司からの崇敬が篤かったといわれています。
拝殿にもご由緒が書かれた額が奉納されていて、現在は字が薄れていてまったく読めませんが、こちらにも「文武天皇(七〇二年)の御宇、この閤宮(こうのみや)より、国璽の印と国庫の鍵を差し出した」という一文があるとか。
今は読めないよ…!
このご由緒によると、少なくとも創建から1300年以上の歴史がある神社ということになります。西暦702年は元号でいうと「大宝(たいほう)」、日本初の法律「大宝律令」の時代です。
創祀年代は不詳である。一説に大和国三輪神社から勧請されたと伝わる。『延喜式神名帳』に記載された式内社である。
往古は印鑰(いんやく)大明神と称し、阿波国総社であったとも言われ、一般に「府中宮(こうのみや)」と呼ばれる。明治5年(1872年)に郷社に列し、昭和11年(1936年)に県社に昇格した。(Wikipedia大御和神社より引用)
ハンコを守護する神社なので、大御和神社の御神紋は鍵。
これは「鍵の立合」という紋で、鍵を御神紋とするかなり神社は珍しいようで、調べた限りでは大御和神社以外にはなさそう。こちらは手水舎にある御神紋の彫刻ですが、この鍵レトロでかっこいいですね😆
大御和神社の御祭神
御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)で、大国主神(オオクニヌシノカミ)と同神とされます。
オオクニヌシは出雲大社や”日本最古の神社”といわれる奈良県の大神(おおみわ)神社の御祭神で、天照大神に国譲りをするまでは「少彦名神(スクナビコナノカミ)」とともに中つ国を治めていました。
大御和神社の見どころ
大御和神社で個人的に気になる&おすすめの見どころを写真つきでご紹介します!参拝される前にチェックして参考になさってくださいね。
立派な大鳥居
道路沿いにそびえる大鳥居、さすが堂々としたたたずまいです。鳥居越しに見る社殿も木々に囲まれて素晴らしい眺め✨鳥居脇には「縣社大御和神社」と書かれた社号標があります。
立派な扁額には「式内縣社 大御和神社」とあります。この扁額を模したスタンプが御朱印にもありました。
大鳥居から拝殿まで、まっすぐに参道が伸びています。
荘厳な社殿
社殿はかなり老朽化していますが、立派な瓦屋根で荘厳な雰囲気。格式の高さや地域で大切に受け継がれてきたことがうかがえます。
拝殿前から大鳥居を望むと、かなりの距離があります。けっこう境内は広いですが、段差はなくてフラットなので参拝しやすいです。
境内の隅にはブランコやコンクリート製の大きなすべり台などの遊具があり、地域の子供たちが神社の境内で遊ぶ姿が今でも見られます。古き良き日本の光景ですね😊
木鼻の獅子さんは肉球がプニプニで躍動感あり。向拝の繊細な彫刻が圧巻でした。屋根の裏側は穴が空いている部分もあり、残念ながら建物の耐久性は限界が近いかもしれません。
こちらは御本殿。拝殿に比べると傷みはなく、御本殿を守るように木々が生い茂っていました。
狛犬と狛虎
拝殿前にはにこやかな狛犬さんが一対。台座にひびがあるので、かなり古そうだと思ったらやはり寛政元年(1789年)製、200年以上前に作られたものでした。
狛犬とは別に、拝殿前には虎っぽい謎の像も。狛虎…?
こちらは阿吽にはなっていなくて、阿の1頭だけがポツンといます。なぜ虎なのか由来は不明ですが、謎の存在感をかもしだしていました。
境内社あります
Wikipediaによると、大御和神社には末社として以下の神社があるようです。
境内に江之島神社、若宮神社、稲荷神社があり、飛び地境内社として4神社を所管する。
大鳥居からすぐ、立派な堀に囲まれた境内社があり、おそらくこちらが「江ノ島神社」。老朽化のためか、赤い橋は通行止めになっていて参拝はできません。橋の手前から遥拝しましょう。
ぐるりと一周、堀がありますがかなり深くて橋や土台はしっかりとした石組みになっています。ソテツっぽい南国風な植物がワサワサしていました。
戦国時代には大御和神社の北側に「府中(こう)城」があったそうで、この堀はもしかしたらお城の名残かもしれません🤔
拝殿前には小さなお宮が仲良く並んでいます。この2つのお宮もしっかりと玉垣で囲われ、専用の石灯籠も奉納されています。赤い鳥居と赤いお宮なので、左側が「稲荷神社」、消去法で右側が「若宮神社」っぽいですね。
「飛び地境内社」については詳細不明ですが、石井町にある大御和神社は何か関係があるかも。こちらが飛び地境内社のひとつ?
こちらは国府の大御和神社に比べるとかなり小さな神社でひっそりと住宅にまぎれて鎮座していますが、神紋は同じ「鍵の立合」です。
意外と紅葉スポット
大御和神社は境内に見事なイチョウの大木があり、紅葉シーズンにはご覧のとおり一面が黄色いじゅうたんを敷きつめたみたいになります。平日だったからか誰もいなくて、意外と穴場な紅葉スポットでした!
じゅうたんの厚みと範囲がすごい。参拝したのは12月19日で、このとき3分の1くらいが落葉していました。11月最終週~12月初めくらいがいちばんの見ごろかな?落ち葉を楽しむなら12月中旬くらいがおすすめです。
郷土の偉人っぽい人のレリーフもイチョウを背にして輝いているように見えました😂
【解決済】大御和神社がなくなる!?境内売却の危機
売却問題は解決したけど記事としては当時の内容を残しとくね
解決したので記事タイトルも【国府町の「府中の宮」、大御和神社が売却される!?御朱印は井上八幡神社で】から現在の形に変えました。
↓以下、当時の内容↓
「なくなる」はさすがに言い過ぎですが、かなりショッキングなニュースでした。
平安時代の書物・延喜式神名帳に記され、地元では府中宮と呼ばれる徳島市国府町府中の「大御和神社」が、境内の8割余りを民間に売却する計画を進めている。老朽化した社殿を建て替えるのが目的で、県内の神社が敷地を売って資金を捻出するのは異例。「神社を存続させるためにはやむを得ない」と理解を求める河野誉嗣宮司に対し、計画を事後に知らされた氏子は反対している。
河野宮司によると、大御和神社の境内は約7140平方メートルで、拝殿と本殿をつないだ社殿、社務所、祠、手水舎、トイレ、みこしの保管庫がある。戦前に建てられた拝殿は、屋根の雨漏りや床のシロアリ被害による劣化が進んでいる。
計画では、北東部分の1320平方メートルを境内として残し、その他の約5820平方メートルを徳島市の不動産会社に売却する。本殿と手水舎は壊さずに移築し、拝殿と社務所、祠、トイレは建て替える。雑木は一部を残して伐採し、売却後の土地は住宅地になる。
河野宮司は不動産会社と交渉を進め、売却額は1億2354万円で合意している。境内を更地にする費用は不動産会社が負担。維持費を抑えるため、新しい社殿はシンプルな構造にする。費用は6千万円程度を見込んでいる。
社殿の老朽化は10年以上前から課題となっていた。2010年の概算では、建て替えに1億3千万円程度が必要とされた。積み立て資金がないため寄付で賄うことにしたものの、資金集めが困難として総代会で見送った経緯がある。
一方で、老朽化に伴う事故への懸念は膨らんでいる。十数年前に台風で境内北側の木が倒れ、隣接する住宅の屋根を傷つけた。16年に樹勢が衰えた雑木を250万円かけて切断。拝殿の屋根瓦は、崩れそうな部分を19年に150万円で補修している。
費用は特別に寄付を集めるため、工事の規模によって氏子の負担は大きくなる。屋根の補修では寄付が予定額に30万円届かず、不足分を神社の一般会計から繰り入れた。
河野宮司は禰宜だった19年6月、総代14人と話し合って敷地の売却を決めた。今年3月までに臨時総代会を3回重ね、進ちょく状況を共有しながら計画を進めた。
しかし、一般の氏子が計画を知ったのは、売却額が決まった後の5月1日だった。概要を記した文書での報告に、一部の氏子から「神社は地域の宝。氏子を置き去りにして重要なことを決めていいのか」などと反発が広がった。少なくとも4人が計画の撤回を求めている。
県神社庁が包括する県内の神社約1300社が境内を売却する場合は、神社本庁(東京)の承認が必要。県神社庁は県内での同様の事例について「把握していない。珍しい」としている。
大御和神社が承認を得られるかは不透明なままで、河野宮司は「神社本庁を離脱してでもやり遂げる」と話している。(2020年6月5日付 徳島新聞記事より引用)
2020年6月5日付けのこの徳島新聞のニュース、長いですが全文書き写しました。
内容をざっくりとまとめると、「老朽化した社殿や社務所の改築費を捻出するため、境内地の8割を売却する」とのことで、伐採費用がかさむために境内の立派な御神木もほとんどが伐採されてしまうとか。。。
うそやん😫
境内にはこんな感じでたくさんの楠の巨木が生い茂り、まさに「鎮守の森」といった雰囲気です。この木々たちは大御和神社の長い長い歴史を見守ってきました。
こんな古き良き風景が近い将来、なくなってしまうんです😢
”氏子にこれ以上負担を強いることはできない”として決定されたそうですが、何とかならないんでしょうか。たしかに、神社の社殿を新築するとなるとかなりのお金が必要ですから(徳島新聞によると6000万円を見込んでいるとのこと…)、他に方法がないのかもしれません。
それでも、大御和神社はとても歴史ある神社で、私は氏子ではないですがわりと近い地域で育ち、昔からなじみがある神社なのでなんとか今の姿のまま残してほしいです😢
神社は誰のもの?
2020年6月19日に「フォーカス徳島」(←ローカルニュース)でも大御和神社の境内地売却について放送がありましたが、神社本庁の承認前にすでに売却の契約は済んでいて、7月にはもう工事が始まるとか😲💦
番組では「神社は誰のもの?」として、「大御和神社を守る会」と宮司双方のインタビューがありました。あくまでも個人的な印象ですが、代替わりして就任した新しい宮司さん(先代の宮司さんの息子さん?)と総代会が一般の氏子や地域住民にはほとんど説明や相談なく売却を決めた、という感じがしました。
神社は宮司個人のものではなく、氏子さんを始め、そこに鎮まる神さまを敬う人みんなのものだと思います。宮司の一存で神社を処分するのは、今まで神社の維持に協力・寄進した人や人生の節目の儀式を神社で行ってきた人、さまざまな思いから祈りを捧げてきたすべての人々の思いをふみにじる行為に思えます。
「守る会」の方はまだ宮司と会うことができていないそうなので、何とか話し合いの場を持って、大御和神社がよい方向へ向かうよう祈っています。
境内地の売却は撤回されました
8月2日に「守る会」と宮司さんの話し合いが実現し、境内地の売却計画は白紙撤回されました👏玉垣を覆っていた工事用の幕も、神社に似つかわしくない重機もすべて撤去されています。
大御和神社存続のための署名は1か月で全国から5000筆が集まったそうです。計画が撤回されたため署名の受け付けは終了していますが、神社をこれからどのようにして守っていくのかは未定。老朽化した社殿や社務所の建て替えはいつか必ず必要になります。
地域の宝である大切な神社をこれから100年単位で守っていくためにはある程度のお金が必要なはずです。募金やクラウドファンディングなど、守る会や氏子さん、宮司さんが話し合って何らかの方向性が決まればできる限り協力したいです。
◆◆◆
ちなみに、当初の「守る会」は経緯の説明もほとんどなく何だかうやむやな感じで消滅し、現在は別組織の「大御和神社崇敬会」が発足して神社の維持やお祭りをされています。
(ここから小声)
私も「守る会」には署名したりして、4回くらいは会報もメールで送られてきてたんですが、”解決した”の話はないままいつのまにかフェードアウト。「守る会」がめっちゃ署名や募金集めてたのって、結局どうなったんでしょうかねぇ…。事情はちょっとだけ聞いたけどさすがに書けない。とりあえず神社は悪くない。
このうやむや感が最高にモヤっとする
現在の大御和神社
境内の売却については撤回されましたが、お宮の建て替えは進んでいません。
しかし、売却問題で揺れていた時期から雰囲気が大きく変わり、定期的に境内でマルシェイベントなどが開催され、人が集まるにぎやかなお宮になりました。
\カラフルな提灯でポップな参道に/
橋が崩壊していた境内社「江之島神社」も修復され、参拝できるようになっています。ピカピカの社殿や赤い鳥居、真新しい狛犬さんが素敵でした✨
修復記念に御朱印が無料で頒布されていました。2023年8月の参拝ではまだ頒布されていたので、これから参拝される方もチェックしてみてください。
うさぎの神社♡
大御和神社の御祭神の大己貴命(オオナムチノミコト)は大国主神(オオクニヌシノカミ)と同神とされ、大国主は神話「因幡(いなば)の白兎」でうさぎを助けたというエピソードがあります。
【あらすじ】サメをだまして毛をむしられたうさぎ→大国主の兄たちに「塩水につかれば治る」と嘘を教えられる→痛くて泣いてたところ大国主に助けられる
大国主に助けられたうさぎはヤガミヒメという女神(美女)に「大国主マジいい奴、兄はクソ」と伝え、二人は結ばれました。うさぎは大国主のお使いとしてゆかりが深い動物なので、大御和神社でもうさぎが推されているのです。
境内には「あやかり兎」のかわいい像があり、御朱印も月替わりでうさぎをモチーフにしたかわいいデザインが登場しています!
こちらは通常御朱印。書置きもありますが、宮司さんがいらっしゃるときは直書きもしていただけます。
ちょうど文字で隠れていますが、右下の丸い印はうさぎさん🐰💕
境内にはこのデザインの幟もあり、参拝するたびにうさぎのオブジェが増えていて、「うさぎ神社」に生まれ変わりつつあります。
まとめ
創建から1300年以上の歴史があり、古代には阿波国の中心地だったと思われる大御和神社。今も「府中の宮」として地域で親しまれています。
広い境内に鬱蒼と茂る鎮守の森があり、”古き良き日本の神社”というたたずまいでした。
「社殿の建て替えのために境内地を売却する」という問題は計画が撤回されましたが、お宮をどう維持していくのかという問題は解決していません…。
それでも、「崇敬会」が発足して歴史ある神社を守ろうと活動されています。定期的にイベントを開催したり、花手水や境内の飾りつけなどをしたりと、人が集まる工夫をされているのでこれからも応援したいです。
おすすめのお立ち寄りスポット
大御和神社の近くで御朱印がいただける神社仏閣や、合わせて行きたいおすすめスポットをまとめました。
観音寺
四国八十八か所霊場第16番札所観音寺がすぐ近くにあります。コンパクトなお寺ですが、境内には阿波国総社があり、御朱印もいただけます(拝殿に記載されている宮司さん宅の電話番号に要連絡)。
天石門別八倉比売神社
大御和神社から西へ3kmくらいの場所に八倉比売(やくらひめ)神社があります。こちらも周辺から弥生時代の遺跡が発見され、古代阿波国の重要な場所と考えらえています。奥の院の不思議な祭壇は必見。
井上八幡神社
17番札所に隣接する井上八幡神社。火災のため、昭和に建て替えられた社殿は赤と白が印象的です。
神社のすぐお向かいが大御和神社の宮司さん宅で、御朱印はそちらでもいただけます。