徳島県美馬市|「美馬まほろばの里開運四社巡り」で脇町と美馬町をめぐる!限定御朱印もらえます

徳島の御朱印

徳島県の西部に位置する美馬(みま)市には古墳や史跡がたくさんあり、古代から阿波国で重要な場所でした。

現在も神社仏閣がたくさんあり、お寺が密集した「寺町」もあります。そんな美馬市でも過疎化と高齢化が進み、山間部では維持が難しくなった神社もあるとか…。

この危機的状況に、神社に足を運ぶ人を少しでも増やそうと西照神社の宮司さんが兼任する美馬市内の4つの神社を巡るスタンプラリーを発案し、「美馬まほろばの里開運四社巡り」として2017年末にスタートしました。

地元の氏子さん以外の参拝がほとんどなかった小さな集落の神社にも県内外からの参拝者が少しずつ増え、地域の活性化が期待されています!地元紙・徳島新聞でも「御利益4倍?美馬の4神社がスタンプラリー」という記事で紹介されました。

四社巡りで朱印スタンプを集めてコンプリートすると、西照神社で特別な御朱印がいただけますよ💁‍♀️

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美馬まほろばの里開運四社巡りとは?

まほろばの里 素晴らしいという意味を持つ美馬市 美しく、秘めた素晴らしい場所に鎮座する四神社
四社とも、とても素晴らしい神社です。
しかし、過疎化に伴う維持存続の危機を迎えておられます。
古来より人々の心の拠り所でもあった場所(神の社)の記憶を辿りそれぞれが持つ由緒、歴史、神聖さをご体感ください。
神社と人がつながりそれぞれの道開きとなりますことを心よりご祈念いたします。

(開運四社巡り 台紙から引用)

美馬市は県西部では比較的人口が密集している都会(徳島県比)。

山間部にも山にへばりつくように集落が点在し、それぞれの集落に小さな祠やお社がいくつもあって、土地に根付いた神さまが信仰されています。しかし、過疎化が進んで神さまのお世話ができる人がいなくなり、他の神社に合祀されたり、残念ながら忘れられてしまった神さまもいます🥺

氏子だけで神社を維持することが難しくなり、危機的な状況にあるため、少しでも神社に足を運ぶ人が増えれば…と始まったのがこのスタンプラリー。美馬市内にある4つの神社でそれぞれ300円の初穂料を納め、台紙に朱印スタンプを押して行くシステムとなっています。

まずは台紙をゲット!

開運四社巡りをするには西照神社にあるスタンプラリー台紙が必要。これは拝殿に置いてあり、1セット300円で購入できます。台紙のデザインは色や柄などが何パターンかあるので、好きなものを選びましょう💁‍♀️

台紙の購入に300円、西照神社で朱印スタンプを押すのに300円で合計600円の初穂料を賽銭箱に納めてからが四社巡りのスタートです!

台紙は開くとこんな感じで、左ページに各神社の御祭神や由緒が書いてあり、右ページにスタンプを押すスペースがあります。神社ごとに押す場所はとくに決まっていないので、巡った順や好きな順で押せばOKです🙆‍♀️

コンプリート御朱印をいただく場合はこの台紙が必要なので、なくさないように大切に保管しましょう。袋も捨てずに取っておくほうがいいかも(詳しくは後述)。

チェックポイントを巡ろう

全体の位置関係はこんな感じで、到達難易度は岩倉八幡神社<玉振神社<西照神社<正部神社

西照神社に行ったことがある方であれば、正部神社がどんな魔境にあるのか想像して震えると思います😂正部神社へ行った後なら西照神社への道がめっちゃ広く感じる…そんな場所にあり、車一台分ギリギリ幅の道路が続き、Uターンできる場所がなく、道を間違えると民家の敷地に突入します。

四社巡りは平地の神社2社と山奥の神社2社で構成されていますが、平地の神社であっても車以外でのアクセスは困難です。場所がわかりにくい神社もあるため、念のため西照神社で四社巡り用の地図をいただくのをおすすめします(拝殿にあります)。

▼レンタカーという選択肢▼

西照神社

標高946mの大滝山の山頂に鎮座する西照(にしてる)神社は月読命(ツクヨミノミコト)をお祀りする神社。「月神の宮」として親しまれ、徳島きってのパワースポットとしても有名です。

うさぎの印がかわいい御朱印をいただくことができ、書置き限定で絵入りの御朱印も拝受できます。

西照神社のスタンプ

西照神社ではうさぎの朱印スタンプを押します。

スタンプの場所:拝殿前の箱

岩倉八幡神社

岩倉八幡(いわくらはちまん)神社は県道12号線沿い、JA美馬岩倉支所の向かいにあります。阿波の戦国武将・三好長慶(みよしながよし)の従兄弟にあたる人物が妙見山に八幡祠を祀ったことを起源とします。

岩倉八幡神社のスタンプ

岩倉八幡神社では兜の朱印スタンプを押します。

スタンプの場所:拝殿前の箱

玉振神社

玉振(たまふり)神社は平地にあり、開放感がありました。境内はわりと広いですが、拝殿と石仏群以外には他に境内社などはなく、さっぱりとしています。

玉振神社へのアクセス

幹線道路からは外れていますが、平地にあって比較的わかりやすいです。郡里廃寺跡や段の塚穴古墳のほか、近くには美馬市の寺町もありました。

車は境内に駐車できます。

玉振神社
〒779-3600
徳島県美馬市美馬町宗重2

玉振神社について

御祭神:玉振姫命、大己貴命

正部神社の祭神、清姫霊神の侍女、玉振姫霊神を祀った社に延宝五年(1677年)に大己貴命を宗重部落の氏神として合祀した庚申信仰の神社。近辺には四国最大級の巨石墳(円墳)の「段の塚穴古墳」や白鳳時代の寺院跡の「郡里廃寺跡」がある。復活・復縁・再出発に御利益あり。

(開運四社巡り 台紙から引用)

拝殿にもう少し詳しい由緒書きがありましたが、ちょっと文字が読み取れない部分もあったので台紙から💦

  • 御祭神の「清姫」は鎌倉時代中期に起こった鎌倉幕府の内乱「宝治合戦(1247年)」に関係する武将の奥方だとか。詳しくは⇒Wikipedia宝治合戦をご覧ください。
  • 大己貴命(オオナムチノミコト)は素戔嗚尊(スサノオノミコト)の6世の孫にあたり、出雲大社にお祀りされている大国主神(オオクニヌシノカミ)と同神とされます。
  • 玉振神社には悪祓い、延命、復活(復縁、再出発)の御利益があります👏

玉振神社のスタンプ

玉振神社では猿の朱印スタンプを押します。

スタンプの場所:拝殿前の箱

玉振神社の見どころ

玉振神社は比較的住宅が密集したエリアにあり、玉垣でしっかり囲われていました。立派な鳥居は安政3年(1856年)に奉納されたもの。

鳥居脇に狛犬が一対、赤い前掛けがラブリーです。吽形の歯並びがきれい。

拝殿の由緒書にあるとおり、境内の隅にはたくさんの石仏や祠が並んでいます。朱印スタンプにも「庚申の社」とあり、大きな庚申塔が目をひきました。

庚申塔(こうしんとう)
庚申信仰に基づいて建てられてた石塔のこと。⇒庚申信仰とは(Wikipedia)
庚申信仰の本尊は「青面金剛(しょうめんこんごう)」という仏さま。仏教を守護する帝釈天の使者といわれ、病気や災難を駆逐する力があり、延命長寿の御利益があります。
徳島は庚申塔密集地域で、明暦2年(1656年)に徳島藩の命令で県内全域に庚申さんが設置されました。3000基以上現存しているそうで、お寺や神社、道路沿いなどにひっそりとあります。人型っぽいけど手が多い謎の石仏があれば、だいたい庚申さん。

玉振神社には明治23年(1890年)に建立された庚申塔があり、全体的に苔むしてはいますが欠けなどはなく、ほぼ完全な状態で残っています。

そのため、青面金剛の特徴である一面三臂(顔がひとつに腕3対)、「ショケラ」と呼ばれる裸形の女性の髪をつかんでいるのがよくわかります。

足元には見ざる・言わざる・聞かざるの三猿を従えているのも青面金剛像の特徴🐒
ショケラ
庚申信仰では人の悪事を天帝に告げ口する「三尺虫(さんしちゅう)」という虫が人間の体内にいるといわれ、ショケラは三尺虫を表しています。三尺虫が告げ口しに行かないよう、青面金剛がつかまえているそうです。ショケラ持ちの青面金剛はとても珍しいものだとか。
もう一基の庚申塔は表面がかすれ気味。こちらはショケラを持っていませんが袴をはいているみたいに見えて、おしゃれ番長でした。

正部神社

開運四社巡り中、最大の到達難易度を誇る正部(しょうぶ)神社がこちら。ようやくたどりついたとき、謎の達成感がありました😂

近くには「登津郷大師堂」があり、弘法大師もこのあたりを訪れたのかな?

正部神社へのアクセス

目印となるものはなく、ひたすら山道を進みます。普通車は通れるのかな?という細い道で、もちろんガードレールなし

要所要所に「正部神社」と書かれた看板がありますが、見落とすと取り返しがつきません。うちのカーナビでは正部神社が出ず、Googleマップも役にたたず、迷い込んだ民家の方に道を教えていただきました。

正部神社
〒779-3600
徳島県美馬市美馬町正部25

もう終わっているかとは思いますが、2019年11月中旬に参拝したときは周辺道路の工事中でした。

正部神社について

正部神社の創立については御深草天皇の代、宝治元(1247)年、相模国鎌倉の城主四位少将清平公の奥方であった清姫が逆臣の謀反にあい、家臣藤島主水・千葉彦太郎・侍女玉振・杉尾を引き連れて郡里へ逃れてきた。そして、郡里に在住中死亡したため、家臣藤島主水は郡里山井手口に埋葬した。
ところが、この墓の前を馬に乗って通行する人は必ず落馬するので、人々は恐れかしこみ、御神体を清浄の地に祀ろうとして、切久保の額の坂を越え入倉に至り、神場の地に奉斎した。時に、正応四(1291)年九月であったと伝えられている。
その後、正部に移るが井手口に祀られていたときは、社名を若山妙見大明神といったが、正部に移ってからは妙見大明神と言い、更に慶応四(1872)年十月に正部神社と改称された。
正部神社は郡里山分三百五十戸の氏神として崇敬され、旧三月十九日の春祭りには、清田部落より八乙女舞い及び讃岐神楽、または一宇村からは、斎部神楽が奉納された。
十月十九日の秋祭りには、入倉一統による御供行列邌子四十名ほどの人が供揃いして、毛槍の込みがあり、祭礼が始まる。(この子の儀は、明治六年に初めて奉納されてから今日まで連綿として継承されている。)
正部・切久保の両部落は屋台を出し、清田部落は八乙女舞を、坊僧部落は獅子舞をそれぞれ奉納する。また、当番の部落は神輿渡御をし、五穀豊穣祈願と勤労感謝の一日が進んでいく。
郡里山あげての盛大な祭礼行事も近年の過疎・高齢化等、急速な時代の変化のなかで漸時簡素となってきている。

(境内由緒書から引用)

スタンプラリー台紙よりも詳細な由緒書が境内にありました。ほどほどに具体的な地名や身分、名前がありますがネットで検索してもそれらしい人物がヒットせず…🤔

ですが、

清姫は美馬町正部の正部神社に祭られ、侍女の玉振は玉振神社、杉尾は美馬町芝坂の杉尾神社、家臣の千葉彦太郎は寺町の安楽寺を浄土真宗に改宗したと人物として伝えられています。
鎌倉時代に清姫一行が美馬の郡里に逃れてきたことについての詳細は明らかではありませんが、複数の社寺に共通の伝承があること、伝承に登場する人物を祭る神社が実際に存在するなど、非常に興味深い事例です。

(広報みま2012(平成24年)8月号から引用)

美馬市の広報誌でもこのように書かれていて、鎌倉から逃れてきたという一行は実在したようです。

  • スタンプラリー台紙では「伊弉冉(イザナミ)尊が合祀された」とありますが、境内の由緒書では主祭神は「清姫霊神、伊邪那岐(イザナギ)命、天照大神、大国主命」となっていて、合祀されたのは「イザナミ」なのか「イザナギ」なのかちょっとあやふや💦
  • 正部神社は「しょうぶの女神」として信仰され、賭け事、受験、恋愛成就の御利益があります👏西照神社よりもさらにパワースポット感ある清浄な空気でした✨

正部神社のスタンプ

正部神社では九曜紋の朱印スタンプを押します。

スタンプの場所:拝殿の中(扉は開くようになっていました)

正部神社の見どころ

青空に映える鳥居。

狛犬は平成生まれですが、台座は慶応年間(慶応3年?)のもの。玉取り子取りスタイルでした。

子獅子がラブリー♡ちょっとドヤ顔。

拝殿には大きな九曜紋があります。

拝殿の扁額がワイルド。切り株??

本殿の奥には竹藪があり、そこにポツンと祠が。石碑には「松尾大明神」とあり、扉が壊れていました。どこか人が住まなくなった別の集落から遷座したものでしょうか。

境内の隅っ子には古い狛犬がポツンと。この子が慶応年間の台座に元いた狛犬なのかも。吽形っぽいですが、相棒はいませんでした。

境内からは美しい山並みが見渡せるパノラマビュー✨正部神社への道のりは厳しいですが、また行きたいと思える清々しい場所でした。

開運四社巡り限定御朱印あります

四社巡りを終えて、西照神社にもう一度参拝すると四社巡り限定の御朱印をいただけます。こちらは四社巡りの記念として無料で拝受でき、宮司さんが不在の場合は郵送でも授与していただけます。

郵送していただく場合は四社巡りのスタンプ台紙を賽銭箱に入れるので、汚れないように袋があったほうがいいので台紙を購入したときの袋を保管しておくのがおすすめ。郵送の場合、台紙は御朱印と一緒に返送していただけます。

西照神社に参拝したあとは、ぜひ四社巡りにもチャレンジしてみてくださいね💁‍♀️

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