阿波市阿波町に鎮座する賀茂(かも)神社は4柱の神さまをお祀りする神社。創建年など神社の詳しい由来は不明ですが、全国で唯一「意富加牟積命(オオカムズミノミコト)」をお祀りしています。
オオカムズミノミコトってあまり聞きなれないお名前の神さまですが、正体は古事記に登場する桃の実。
黄泉の国から逃げ帰るとき、大ピンチに陥った伊邪那岐(イザナギ)命を助けたことから、厄除けの神として信仰されています👏この古事記のエピソード自体はそこそこメジャーなものですが、この神さまを御祭神とする神社は意外となくて、この賀茂神社だけだとか。
レアな神さまをお祀りする賀茂神社、あまり知られていませんが御朱印もいただけますよ💁♀️
賀茂神社へのアクセス
県道12号線沿いにありますが、神社入り口がやや狭いので初めて行くときは見落としてしまうかも。道路から見えるところに看板があります。
賀茂神社の駐車場
参道奥、狛犬さんの手前に車を停められるスペースあり。
参道沿いに民家もあるので、駐車の際は通行の邪魔にならないようにご注意を。
公共交通機関でのアクセス
周辺に駅がなく、路線バスのバス停もないため車以外でのアクセスが困難です。
・JR徳島線山瀬駅から約2.4km
賀茂神社の御朱印
参道の途中に「←宮司宅」という案内があり、境内に隣接する形で宮司さんのお宅がありました。
いたって普通の住宅で、敷地内に社務所のようなものはなく、宮司さん宅である表示もなくて入っていいのか躊躇しました。たまたまお庭の畑に年配のご夫婦(宮司さんのご両親?)がいらっしゃり、御朱印のことをうかがうと宮司さんを呼んできてくれました。御朱印を待っている間、おじいちゃんがいろいろと神社のことを教えてくれて、暖かいコーヒーのお接待までいただきました。
御朱印が変わりました
御朱印は書き置き対応のみになったようです。
新しい御朱印はカラーで、きれいな桜の絵入り✨拝受したのは6月ですが、1年中この桜の絵なのか季節で変わったりするのか…また行ってみないと。
賀茂神社について
賀茂神社は境内に由緒書き等がなく、公式ホームページもないので詳細は不明。
徳島県神社誌によると、
もと蜂須賀公の崇敬社であった。『阿波志』に「別雷祠 朽田村に在り 旧中野村に在り 貞亨元年ここに移す 越智通玄偃月刀一枝を納む 備中水田源国重造す・・・」とあるとおり、元、中野村に鎮座していたが伊沢市の住人河野六郎太夫という者の発願により貞亨元年(1684)現在の地へ移し祀ったといわれている。
となっていますが、創建年などはやっぱり不明🤔
賀茂神社の御祭神
境内にあった石碑によると、賀茂神社の御祭神は4柱。
- 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は天孫降臨でおなじみ、天照大神の孫にあたる皇室につながる神さま
- 天忍日命(アメノオシヒノミコト)、天津久米命(アマツクメノミコト)は天孫降臨に付き従った神さま
- 意富加牟積命(オオカムズミノミコト)は伊邪那岐命(イザナギノミコト)が神名を授けた桃の実
古事記終盤の「天孫降臨」のエピソードに登場する3柱の神さまと、なぜかそれよりかなり前の「黄泉の国」のエピソードに登場するオオカムズミノミコトという不思議な組み合わせです🤔
「日本一神」とは?
社号標には「日本一神」とあります。
これはオオカムズミノミコトのことで、日本で唯一、賀茂神社でのみ祭祀されているとか。
イザナギが死んだ妻のイザナミを迎えに黄泉の国に行ったとき、なんやかんやあってイザナミを怒らせてしまい、逃げる途中に追手に向かって投げたのが桃の実でした。
桃のおかげで無事にこの世へと戻ることができたので、イザナギは桃に”オオカムズミ”という神名を与えて『これからも人々を苦難から救うように』と命じました。
このへんを詳しく知りたい方は古事記の記事をどうぞ💁♀️
”桃に魔除けの力がある”といわれるのはこのエピソードが元になっていて、賀茂神社でも厄除けの桃守りが授与されているそうです。
愛知県犬山市の桃太郎神社でもオオカムズミノミコトが主祭神としてお祀りされていますが、昭和初期にできた新しい神社なのでノーカウントの模様。
昔行きましたが、素晴らしくカオスないいところでした。かわいい御朱印とオリジナル御朱印帳もあります。当ブログでは完全にエリア外なので、詳細は「桃太郎神社 犬山」で検索してみてね☆
賀茂神社の見どころ
賀茂神社で個人的に気になる&おすすめの見どころを写真つきでご紹介します!参拝される前にチェックして参考になさってくださいね。
長~い参道
県道12号線から社殿までまっすぐ伸びる長い参道があり、距離は200mくらいでしょうか。参道沿いには民家もあり、車もたまに参道を通ります。
長い参道の途中にある鳥居、扁額には「賀茂宮」とあります。鳥居はひとつだけでした。
参道沿いには奉納された灯籠や狛犬がたくさん並んでいました。しっかりと鎮守の森が残っているため、午後は木の陰になってちょっと薄暗い雰囲気でした。
夕方の暗くなる時間だとちょっと不気味かも。。。。
幹線道路沿いですが、参道中ほどまで進むと車の音はほとんど聞こえず、とても静かでした。
雷よけの石
参道にはこんな石碑がありました。
雷除けの由来
其の昔鳥居前に落雷あり 祭神怒りて大岩で伏せ込めば雷二度と落ちませぬとあやまる
祭神是を許し解放す 以来当地では雷鳴あらば 加茂さんの氏子・加茂さんの氏子 と唱え難を逃るという
其の落雷あとが井戸として氏子崇拝の要となる(現地石碑より引用)
賀茂神社には、鳥居の前に落ちた雷を御祭神が封じ込めたという伝説があるようです。道路沿いには注連縄で囲われた「雷よけの石」が残っていました。
めっちゃ道路ギリギリにあるので、車に気をつけて見学してくださいね。
古墳の上にある神社!?
賀茂神社は前方後円墳の上にあるのでは?との説があるそうです😲
宮司さん宅のおじいちゃんが以前参拝に来られた方からその話を聞いて、『なるほど!』と思ったそうで、現地で丁寧に説明してくれました。たしかに、長い参道はまっすぐですが、この狛犬のあたりからは両側に向かって土地が丸くなっていて、古墳の円の部分なのかもしれません。神社に沿う細い道路もゆるくカーブして丸っこくなっていました。
古墳とすると被葬者は誰なのか気になりますが、発掘も研究もされていないため詳細はわかりません。。。
社殿
賀茂神社は鎮守の森の木々に囲まれているため、社殿の周辺は昼間でもちょっと薄暗いです。拝殿は建て替えられてからそれほど年月がたっていない感じでした。
拝殿前の注連柱には「日露戦伐」「凱旋記念」とあり、日露戦争での戦勝記念に奉納されたもののようです。
拝殿を別角度から。徳島県内でもあまりメジャーな神社ではありませんが、立派な造りです。
拝殿の扁額もやっぱり「賀茂宮」となっています。昔は賀茂神社ではなく、賀茂宮と呼ばれていたのかな?
拝殿の天井には「賀茂御祭神鳥居前落雷伏込みの図」という奉納絵がありました。御祭神も馬も迫力ある表情でかっこいいです。
狛犬いっぱい!
賀茂神社には狛犬が3組いますが、そのうちの2組は崩壊ぎみでお疲れのご様子。
こちらはいちばん道路側の狛犬コンビ。躍動感あるスタイルですが、顔も尻尾もなく、阿形はもはや自然に還りそうでした。こちらの狛犬は明治28年(1895年)に奉納されたもの。
こちらは真ん中の狛犬コンビ。賀茂神社でいちばん新しい狛犬で、作風もいまどきな感じです。こちらの狛犬は平成3年(1991年)に奉納されたもの。
こちらは拝殿前の狛犬コンビ。姿はギリギリ保っていますが、顔面は完全にえぐれています。。。台座も崩壊ぎみで、年代は読み取れませんでした。なんとなく昭和初期製の感じがする。
境内社
参道沿いにはいくつか境内社として小さなお宮が並んでいました。
こちらは注連柱に「五社明神」とあり、左から霊神社・庚申神社・知慧神社・山神社・天神社と5つのお宮があります。それぞれの御祭神や由来など詳細は不明。
よく見るといちばん左の霊神社はお宮にお部屋が2つありますね。
五社明神の手前には別の境内社がありますが、こちらは社名も御祭神も不明。
参拝したのが11月末でそろそろお正月準備を始める時期だったためか、どの注連柱にも注連縄がなかったです。
まとめ
幹線道路沿いにあるので、存在だけは知っていましたが賀茂神社には今回が初めての参拝でした。周辺は交通量が多いですが、社殿までは長い参道があるので、拝殿前まで行くととても静かでゆっくりと参拝できました。
日本で唯一オオカムズミノミコトが主祭神としてお祀りされていて、前方後円墳の上にあるかも!?という説もあり、ちょっと不思議な神社です。ぜひ、現地で前方後円墳感を確かめてみては。
宮司さんがご自宅にご不在の場合もあるので、御朱印や桃のお守りを希望する場合は事前に連絡してからの参拝がおすすめです。