眉山に連なる勢見山(せいみやま)のふもとにある観音寺(かんのんじ)は、阿波西国三十三観音霊場の第一番札所。
四国霊場に比べるとややマイナーな霊場ですが、ほとんどの札所が他の霊場でも札所となっているので意外と不在率は低く、巡礼しやすいのが特徴です💁♀️
徳島県民でもあまりなじみがないお寺かもしれませんが、意外と境内は見どころいっぱい。
▼四国第16番観音寺はこちら▼
観音寺へのアクセス
国道438号線から少し奥まった場所にありますが、金刀比羅神社に隣接しているのでわかりやすいです。JR徳島駅から車で7~8分くらい。
観音寺の駐車場
参拝者は境内に乗り入れ可能、無料で駐車できます。
公共交通機関でのアクセス
JRを利用する場合
- JR徳島駅から約2km、徒歩30分弱でギリギリ徒歩圏内
- JR牟岐線二軒屋駅から約1km、徒歩13分
金刀比羅神社のすぐ近くにバス停があります。
- JR徳島駅から徳島市営バス二軒屋・法花(ほっけ)行きに乗車し「金刀比羅下」バス停で下車、徒歩1分
観音寺の御朱印
本堂の右手に納経所(というか玄関)がありますが、四国霊場のような「納経所」ではなく、インターホンで呼び出し→奥で記帳というスタイルでした。
中に入ると呼び出し用のインターホンと、不在の場合の連絡先(携帯電話の番号)が書いてありました。「四国八十八ヶ所ではありません」という貼り紙もあり、間違える方が意外と多いのかも?
観音寺の御影
観音寺で納経をすると、御本尊のお姿を描いた御影(おすがた・おみえ)が無料でいただけます。
四国霊場より横幅がかなり大きく、サイズはお寺ごとにバラバラです。左が観音寺の御影で、右が比較用の四国霊場第1番霊山寺の御影です。
霊場専用納経帳あります!
阿波西国三十三観音霊場は東部と西部の2種類あり、観音寺は東部の第1番です。納経帳も東部と西部で違うのでご注意ください。
大山寺など他の霊場と兼務している大きめのお寺で聞いてみましたが、東部霊場の場合、巡礼用品は観音寺のみでの取り扱いのようです。阿波西国霊場を巡礼してみようかな?と思ったら、観音寺で必ず納経帳を手に入れましょう。
阿波西国霊場では御影の授与がありますが、納経帳が御影帳を兼ねているので御影帳は不要。納経帳の最後に御影を貼るページがあります。
巡拝用品について
観音寺は1番札所ですが、四国霊場のように納経所に巡拝グッズは並んでいないので、希望するものがあれば自己申告して見せていただくシステム。
巡拝用品の種類や料金等は以下の公式サイトをご参考に。購入する予定であれば、事前に必要なものをピックアップしておきましょう。
観音寺について
境内に由緒書きなどがなく、残念ながら詳細は不明ですが徳島藩初代藩主・蜂須賀家政公が創建したお寺で、創建から400年の歴史があります。
御本尊に関しては、Wikipediaによると徳島市の東海寺から移されたもの。
蜂須賀家政が大谷にあったものを元和2年(1616年)に現在の勢見町に移建したものと伝えられる。また現在の徳島市北山町には本尊の脇侍であった地蔵尊を本尊とする東海寺が創建された。
(Wikipedia観音寺(徳島市勢見町)より引用)
また、観音寺の前身となったお寺が小松島市にあるようです。
1614年蜂須賀家政が現在の小松島市中田町に別邸を建て蓬庵と称して隠居し、豊臣秀吉の木像(1599年に豊臣秀頼より与えられた)を近くの千代の松原の北に豊国大明神として祀り、京都高尾山から龍源上人を迎えて豊林寺をつくり豊国神社の別当にしました。しかし、徳川幕府の基礎が定まる1616年になると幕府を恐れた蜂須賀氏は豊林寺を廃寺にし徳島の勢見に観音寺を建てて龍源上人を移らせました。
(堀越寺公式ホームページから引用)
戦国時代末期から江戸時代初期の、徳島藩成立時のてんやわんや感が凝縮された歴史ですね。
正式には勢見山(せいみざん)観音寺(かんのんじ)といい、高野山真言宗のお寺です。
観音寺の御本尊
御本尊は千手観音菩薩、数々の不思議な霊験を示されて徳島の人々から信仰されていたとか。御本尊にはこんな言い伝えがあるそうです。
昔、勝占(かつら)の大谷村北山に美少女がおり、かねてより観音像を創りたいと願をかけていました。そこへ旅の翁(威端巌功妙不可言=何ともいえぬ威厳にみちた老人)が現れ、霊木に観音経を誦しながら一心に彫り続け、少女の願いどおり、素晴らしい観音像を造作されました。
協力を惜しまなかった村人も大喜びして、北山の寺へ安置し日夜拝しました。しかし、彼の翁はどこへともなく立ち去ってしまいます。村人たちは、この老人こそ、観音さまの化身だと信じるようになりました。そして美少女は長者にみそめられ、幸せに包まれて一生を終えました。(阿波西国三十三観音霊場公式ホームページより引用)
本堂ではセンターに安置され、両サイドには歓喜天と不動明王、弘法大師もお祀りされています。扉はぴっちりと閉じられていて、拝顔することはできません。
狸の伝承もあります!
江戸時代、阿波国(現・徳島県)の勢見山の麓の観音寺の境内で芝居興行があり、大人気を博していた。
ところがある夜、芸をするはずの犬たちが客席の方を吼えてばかりで一向に芸をしない。ついにその中の1匹が客席に飛び込み、1人の武士に襲い掛かって喉を噛み切り、死に至らしめてしまった。大事件発生かと思われたが、役人が武士の亡骸を検分したところ、懐の紙に武士の名が「淡州先山芝右衛門」と記されていたものの、淡州にそのような名の武士は実在しなかった。さらに懐には柴の葉が10枚ほどあった。
翌朝に役人が再び検分に訪れたところ、武士の姿は血まみれのタヌキに変わっていた。これが芝右衛門狸であった。時を同じくして阿波ではタヌキの2大勢力の大戦争・阿波狸合戦があり、両軍が援軍を欲していたので、芝右衛門狸はどちらかの軍に力を貸すために淡路島から阿波を訪れたのだろうと噂されたという。(Wikipedia芝右衛門狸より引用)
意外なところで淡路島の有名狸・芝右衛門(しばえもん)の逸話がありました。「犬に襲われて死んでしまった」説がある芝右衛門、ここ観音寺で落命したともいわれています。
「観音寺」といえばやはり四国第16番観音寺のほうが有名ですが、勢見の観音寺も意外な歴史とたくさんの逸話があり、栄えていたお寺です。
観音寺の見どころ
観音寺で個人的に気になる&おすすめの見どころを写真つきでご紹介します!参拝される前にチェックして参考になさってくださいね。
仁王門
観音寺には立派な仁王門があります。土台には阿波の青石がふんだんに使われていました。出入口はここだけなので、車の場合はそのままここを通り抜けます。
寺号標も青石でできていました。
ピカピカの扁額には山号の「勢見山」とありました。この仁王門が建立された年代は不明ですが、中にお立ちの金剛力士像はかなり古く、貴重なもののようです。
観音寺仁王像は嘉暦元年(1326年)の鎌倉時代末期の作で四国で最も古いすぐれた様式のすぐれた像といわれています。
(現地案内板より引用)
網があってかなり見えにくいですが、白いボディの筋骨隆々な金剛力士像でかなり状態がいいです。こちらの金剛力士像には嘉暦元年の銘があり、四国最古級だとか👏
金剛力士像の奥のお部屋をのぞくと…ちょっとホラーな神馬さんがコンニチハ。仁王門にこうして神馬さんがいるパターン、初めて見ましたがかなりレアじゃないでしょうか。
観音寺の門前には四国放送のCMでよく見る「観音聖稜」があります。徳島県民にはおなじみですね☆
手水舎
手水舎の龍は伏し目がちでアンニュイな表情でした。
手水舎にタオルや手ぬぐいを用意してくださる寺社は少なくないですが、観音寺のそれはフカフカで手触り最高の今治タオルが用意されています。これぞメイドインジャパンクオリティー👌
権現造りの本堂
観音寺といえば、本堂が特徴的。もともとは小松島市の中田(ちゅうでん)にあった豊林寺の本堂で、蜂須賀家政によってこの地に移築されました。
現在の本堂は延享2年(1745年)に再建されたものですが、桃山時代の「権現造り(ごんげんづくり)」という様式で作られています。
神社の建築様式の一つで、本殿と拝殿を「石の間(または合の間)」と呼ばれる幣殿(へいでん)でつなぐ様式のことをさします。「石の間造り」「八棟造り」とも呼ばれています。上から見ると建物の配置が「エ」の字に見えるのが特徴で、平安時代に北野天満宮で始まったとされ、東照大権現(徳川家康)を祀った東照宮がこの様式を採用して以来、近世の神社建築で多く用いられるようになったと言われています。
「権現造り」は日光東照宮をはじめ、神社に多い様式っぽいです。神仏習合の歴史を感じますね。観音寺の本堂は”寄せ棟権現造りの建築”としては日本有数のものと評され、徳島市の重要文化財に指定されています。
横方向から見えないので、残念ながら権現造りなのがいまいちピンと来ない…。ですが、立派な瓦屋根で風格ある建物なので、寺社の建築が好きな方には見どころ盛りだくさんかも。
今気づきましたが、左手の墓地のほうに周れば側面が見えるかもしれませんね。
彫刻がすばらしい!
本堂は築300年近いのでかなり傷みがありますが、かつては美しかったであろう彩色の跡が見てとれます。鮮やかな朱色や青の跡が残っていて、もともとは日光東照宮のようなカラフルな色合いだったんじゃないでしょうか。
お花もポンポン咲きな感じでかわいらしい。こちらもうっすらと彩色の跡があります。
重厚な本堂のなかで、木鼻の龍さんだけちょっとファニーフェイス。阿吽がよくわからないですが、向かって左側(写真下)の龍さんは人差し指を立ててウェーーーーーイwwwwwなパリピ感があります。
気になる「神変大菩薩」
本堂の左手は墓地になっていますが、お墓に混ざって「南無水子地蔵尊」「南無神変大菩薩」の幟があります。「神変大菩薩」ってご存知でしょうか。
「役行者」のことです。
現地の案内板には「当観音寺の守護を誓われ、お参りの方に霊験を示されます」とあり、なんだか御利益がすごそうです。足腰に痛みや不安がある方、忘れずにこちらにもお参りしてくださいね。
小さなお堂の中にそこそこ大きな役行者の石像がありました。
一本足の高下駄をはいて、岩に腰掛けているのが役行者像の特徴です。こちらの像の作成年代は不明ですが、手足が欠けて苔むしているのでそれなりに歴史あるものと見受けられます。
もうひとつ、役行者の像は鬼の夫婦「前鬼(ぜんき)」と「後鬼(ごき)」を両脇に従えているのが特徴。夫が前鬼、妻が後鬼で一般的には斧を持っているのが前鬼、棒を持っているのが後鬼だそうです。
この像の前鬼はひょうたん持ってるようにしか見えない…。
地蔵堂
観音寺は山を背にした開放感ある境内ですが、本堂以外にはこれといってお堂はなくて小ざっぱりとしています。本堂手前の水子地蔵さんと役行者以外には、仁王門を入ってすぐ右手に小さな地蔵堂があるくらい。
地蔵堂には地獄の賽の河原を描いた奉納額がありました。賽の河原で石を積む子供たちを救う場面ですね。
まとめ
四国第16番観音寺と同名なので混同されがちですが、勢見の観音寺も400年の歴史があり蜂須賀家に崇敬されたお寺です。ややマイナーなお寺ながら、四国最古級の金剛力士像や日本有数と評される権現造りの重厚な本堂など見どころがありました。
阿波西国三十三観音霊場の納経帳や巡拝用品は観音寺でしか扱っていないので、巡礼を考えている方は必ず観音寺で準備してくださいね。
おすすめのお立ち寄りスポット
眉山の東の端のほうにあり、JR徳島駅から少し距離がありますがギリギリ歩いて行ける範囲です。周辺には金刀比羅神社や忌部神社など御朱印がいただける神社もあるので、徳島駅周辺で御朱印めぐりをするときはあわせて参拝してみては。
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