大和国春日社領の富田庄(阿波国名東郡入田村(現徳島市入田町)一帯)に勧請された春日祠に起源を有つといい、蜂須賀家政の阿波入部に際して現在の大滝山東麓(眉山町大滝山1)に遷座されたと伝えるが(文化12年(1815年)の『阿波志』)、一説に天正14年(1586年)の家政による徳島城築城と共に、城下の鎮守として名東郡田宮村から迎えられ、同村から共に遷された勝福寺(通称春日寺)を別当寺とするようになったともいう(昭和48年(1973年)の『徳島市史』)。慶長年間(16世紀末から17世紀初)に蜂須賀氏が徳島藩主となって以後、「春日大明神」と称して歴代藩主からの崇敬を受け、祭祀料として毎年供米10石が春日寺充てに寄進されたという。

Wikipedia春日神社(徳島市)より引用)