八幡総社両神社は阿波国総社とされる神社。
「総社(そうじゃ・そうしゃ)」とは旧律両国に作られた式内社の御神霊を合祀した神社のことで、これは全国にあるものです。阿波国総社は現在は四国八十八か所霊場第16番札所観音寺の本堂横にちんまりと鎮座していますが、かつては3000坪にも及ぶ広大な敷地があったとか!😲
とてもコンパクトな神社なので、見どころ的にはあまりご紹介するポイントがないんですが、
- 御朱印をいただく方法について
- 「総社」について
をメインに解説します💁♀️
八幡総社両神社へのアクセス
四国八十八か所霊場16番札所観音寺(かんおんじ)を目指してGOです👍
八幡総社両神社の駐車場
観音寺の駐車場が利用できます。納経所前のコンパクトな駐車スペースがいっぱいの場合、お寺の東側に大きな駐車場があります。
公共交通機関でのアクセス
車以外で行く場合はJRとバスが利用できますが、最寄り駅からの距離はちょっと遠いです。
- JRを利用する場合:JR徳島線府中(こう)駅から1.2km、徒歩15分
- バスを利用する場合:徳島バス鴨島線に乗車し「観音寺北」バス停で下車、徒歩5分
八幡総社両神社の御朱印
八幡総社両神社の御朱印は郵送又は宮司さん宅でいただけます。
住所・電話番号など連絡先は拝殿に掲示してあるので、郵送を希望する場合もご自宅を訪ねる場合も、まずはお電話でお問合せください。
☎:088-642-5019
当然ですが、観音寺の納経所では御朱印の対応はしていないのでご注意を🙅♀️
観音寺→宮司さん宅ルート
観音寺から宮司さん宅までは車で7~8分程度で、常楽寺近くの養護施設「常楽園」のお向かいにあります。道は狭いですが、場所はわかりやすいです👌
宮司さんは徳島市不動西町の雨降(あまたらし)神社も兼務されているので、雨降神社の御朱印もいただけますよ💁♀️
八幡総社両神社について
八幡総社両神社の由緒
阿波国の総社として、阿波国府の所在地に設けられた神社。
国司の重要な仕事の一つに、管内の官社及び国司の崇敬する神社を祭祀することがあり奈良時代、国司はこれらの神社に幣を奉り、これに詣づることを例としたが、平安時代中期以降、中央政治の乱れにより地方行政も弛緩し、祭祀も規定通りに行われなくなり、従来国司の祭祀してきた管内諸神社の神霊を国府(国司庁)に近いところに勧請し、参拝の便をはかったのが総社の起源である。
当社はその総社と、近在の八幡神社を合祀したもので、安政三年(1856)の棟札を存ずる。
「寛政改神社帳」には「観音寺村惣社大明神」「観音寺村八幡宮」とある。
なお、南方五〇〇メートルほどはなれた所に、面積約三千坪に及ぶ当社の旧社地があったとされ、「総社が原」の呼称が現在に伝わっている。主祭神
(八幡神社)応神天皇
(総社)阿波国式内社五十座
阿波国の式内社は大麻比古神社を始め五十座四十六社あり、国府町内では大御和神社(府中の宮)、八倉比売神社などが式内社である。
八幡総社両神社は阿波国総社とされる神社のひとつで、「八幡総社両神社」という社名からもわかるように阿波国総社と八幡神社がドッキングした神社です。
由緒書きの中には「南方五〇〇メートルほどはなれた所に、面積約三千坪に及ぶ当社の旧社地があったとされ、「総社が原」の呼称が現在に伝わっている。」とありますが、これは古い地名なので現在は地図上で確認できません🙅♀️
「総社」とは?
あらためて、「総社」についてざっくりと説明。
現在でも地域ごとに「一の宮」「二の宮」などと呼ばれる格式高い古い神社がありますが、この「一」や「二」というのは国司が参拝する順番です。
徳島県の場合は大麻比古神社(鳴門市)が一の宮で、平安時代以前は一宮神社(徳島市)や上一宮大粟神社(名西郡神山町)が一の宮とされていました。国司は任国に到着するとまず一の宮、二の宮…と順に参拝するのが習わしで、官社の祭祀をするのも国司の重要な仕事でした。
平安時代中期以降になると、こういった古くからのしきたりを守るのクッソめんどい…という流れから国司庁の近くに神社をまとめればよくね?となり、式内社の御神霊を勧請して「総社」が爆誕☆
以降は総社に参拝すれば管内の式内社全部に参拝したことになる、という国司にとってのボーナスステージになりました👏
本来は律令国にひとつずつあったものですが、中世にはほとんどが廃れてしまい、後に再興された神社が多いとか。どこが総社なのかわからない地方も多々あるようです。
阿波国総社、大御和神社説
例にもれず、阿波国総社も実際のところどこにあったのかはっきりしていません。
国の中心である「国司庁跡」がわかっていないことも原因のひとつです。近くに阿波国分寺と国分尼寺があり、「国府(こくふ)」や「府中(こう)」という周辺の地名からこのあたり(徳島市国府町)がかつての阿波国の中心地であることは間違いない…のですが、古くからの住宅街のため発掘調査があんまり進んでいないのが現状です💦
観音寺から東へ500~600mほどの場所にある大御和(おおみわ)神社が阿波国の総社である、という説もあります。
大御和神社の境内にある略記には
王朝時代国司政庁が此の地におかれ、阿波国古代の祭政の中枢となり国府の鎮守として累代国司の崇敬の厚かった社である。本社は国璽の印及び国庫の鑰を守護せられし神徳により印鑰大明神とも称したと伝えられる。「印鑰」即ち国司の官印と諸司の蔵のかぎが紛失せぬように祈り、又神社の中に保管したという。
とあります。
国司庁が大御和神社の付近にあったと考えられること、国司の印を守護する神社「印鑰(いんやく=国のハンコ)大明神」であることが大御和神社総社説の根拠となっています。
八幡総社両神社の御祭神
- 八幡神社の御祭神は応神天皇
- 総社神社の御祭神は阿波国式内社50座(大社3座3社・小社47座43社の計46社)の御神霊
阿波国式内社50座についてはWikipediaを見てね☆
八幡総社両神社の見どころ
八幡総社両神社は観音寺の境内にあるため、社殿がポツンとあるほかは何もありません🙄
神社全景
こちらが八幡総社両神社の全景、位置的には観音寺の大師堂に向かって左奥です。
神社にかぶるように「観音寺本堂改築志納者御芳名」の碑があり、どこからどこまでが神社の敷地なのかわからない感じになってます😂碑があるのは鳥居の手前なのでセーフ…?
神社入り口にはわりと新しい鳥居と社号標があり、気持ち程度の短い参道が拝殿へと続いています。
狛犬います!
八幡総社両神社は小さな神社ですが、聖域を守る狛犬さんはちゃんといます🤗しっかりとした台座に鎮座した立派な狛犬さんでした。古そうですが、年代は読み取れず。
扁額
拝殿の扁額の社名は「八幡大神宮 惣社大御神」となっていて、鳥居の扁額も同じ表記でした。なんだか強そうな響きですね😂
気になるのが、由緒書きにある”総社と近在の八幡神社を合祀した”という成り立ち。「八幡総社両神社」という社名的に、むしろ総社が後からドッキングされた感じがしませんか🤔
調べてもネットではあまり詳しいことはわからないんですが、明治時代に出版された「大日本名所図録」によると明治37年の絵図では観音寺境内には「八幡宮」しか記載されていない模様(参考:阿波国の神社めぐり(仮)/八幡総社両神社)。
大御和神社が総社である、が正解なのか、若しくは他の場所にあったのか…やっぱり謎です🙄
境外摂社?
こちらは観音寺の楼門と向かい合うように鎮座している「秋葉八坂神社」です。
八幡総社両神社と同じく、秋葉神社と八坂神社がドッキングした神社となっています。Googleマップでは「八坂秋葉神社」となっていますが、どちらが正しいんでしょうか🤔
位置的に八幡総社両神社の境外摂社かもしれませんが、実際のところよくわからず。とりあえず、すぐ近くだし合わせて参拝してみては👏
まとめ
昔の県知事「国司」も参拝した、管内の式内社を合祀した阿波国総社。現在は八幡神社とドッキングして「八幡総社両神社」として四国霊場第16番観音寺の境内に鎮座しています。
現在は見どころもあんまりないとてもコンパクトな神社ですが、郵送又は宮司さん宅を訪ねると御朱印がいただけます🤗参拝した後は宮司さんへ連絡して御朱印を授かってくださいね。
おすすめのお立ち寄りスポット
八幡総社両神社がある徳島市国府町は四国霊場のお寺や式内社など神社仏閣がたくさんあります。御朱印もいただけるので、ぜひ合わせて参拝してみては。
観音寺
八幡総社両神社があるのは四国八十八か所霊場第16番札所観音寺の境内。拝殿のすぐお隣が観音寺の本堂なので、ぜひお参りを👏
八倉比売神社
式内社・八倉比売(やくらひめ)神社は古墳が密集したエリアにあります。奥の院の祭壇は「卑弥呼の墓」といわれる阿波国の古代史ミステリースポット。宮司さん宅で御朱印もいただけます。
🚙八幡総社両神社→八倉比売神社まで2km程度
常楽寺
四国八十八か所霊場第14番札所常楽寺(じょうらくじ)。八幡総社両神社の宮司さん宅の近くなので、御朱印をいただきに伺う場合は合わせて参拝してみては🤗
🚙八幡総社両神社→常楽寺まで3km程度
国分寺
四国八十八か所霊場第15番札所阿波国分寺(あわこくぶんじ)。現在は本堂が修復中のため有名な庭園も拝観ができないので、見どころは少ないです💦14番~16番までは距離がとても近いので、合わせて参拝するのにおすすめです。
🚙八幡総社両神社→阿波国分寺まで2km程度