大山寺(たいさんじ・おおやまでら)は徳島県と香川県の県境にある「大山」の中腹にあり、徳島県最古のお寺といわれる古刹。四国別格二十霊場と四国三十六不動霊場の札所となっていて、他にもさまざまな霊場の札所となっている歴史あるお寺です。
御本尊の千手観音は源義経が屋島の戦いでの戦勝祈願をしていて、大山寺は開運招福と縁結びのお寺としても有名です💁♀️
大山寺へのアクセス
四国八十八か所霊場第5番札所地蔵寺の少し西に「大山寺」の看板がいくつかあるので、誘導通りに進みましょう。
お寺はかなりの山奥にあって、ガードレールがなかったり離合できる場所がなかったりするような険しい道のりです。基本的には一本道、途中の何か所か謎の分岐点がありますが要所要所に案内看板があるので迷わずたどり着けると思います。
- 徳島自動車道土成インター又は高松自動車道板野インターから車で30分程度
大山寺の駐車場
仁王門前に駐車スペースがありますが、さらに上の納経所前まで車で行くことができます。階段はかなりハードなので、足腰に自信がない場合は納経所前まで車で上がりましょう。
大山寺には最大で100台分の駐車場があり、すべて無料で利用できます。
公共交通機関でのアクセス
大山寺は最寄り駅・バス停からかなりの距離があるので、車以外でのアクセスが困難です。駅又はバス停からタクシー利用がおすすめ。
- JR高徳線板野駅から10km→タクシー20分
- JR徳島駅から徳島バス鍛冶屋原行きに乗車し「神宅(かんやけ)」バス停で下車、6km→タクシー15分
前後の札所
■別格二十霊場
20番札所大瀧寺から47.6km
2番札所童学寺まで16.7km
■四国三十六不動霊場
2番札所明王院まで21.5km
大山寺の御朱印
大山寺は複数の霊場で札所となっていて、以下のとおり御朱印が複数あります。
- 四国三十六不動霊場第1番
- 四国別格二十霊場第1番
- 阿波西国三十三観音霊場第25番
- 四国十三仏霊場(不動明王)
今回は別格霊場と不動霊場のみいただきました。
四国三十六不動霊場
四国三十六不動霊場第1番の御朱印。表は童子印と御詠歌、裏に納経朱印という2枚セットになっています。
専用納経帳はバインダーに綴じていくタイプで、サイズは大きめ。
四国別格二十霊場
こちらは四国別格二十霊場第1番の御朱印。納経帳は普通の和綴じタイプで、大きさや柄など四国霊場並みに豊富でした。
四国別格二十霊場の納め札や専用納経帳なども大山寺で取り扱いがあります。
大山寺の御影
御影も霊場ごとにそれぞれいただけます。
四国三十六不動霊場
不動霊場の御影は四国八十八か所霊場よりも小さめのサイズで、童子さんの御真言と梵字入りです。御影は納経をすると無料でいただけます。
別格二十霊場
別格二十霊場でも納経をすると御本尊のお姿を描いた御影(おすがた・おみえ)が無料でいただけます。
別途100円(200円だったかも)でカラーの御影をいただけるので、表装をする場合はカラーがおすすめです。納経所にカラーの御影で仕立てた額があるので、チェックしてみてくださいね。
大山寺の納経受付時間
大山寺の納経受付時間は7:00~17:00までです。入り口に呼び出し用のインターホンがあったので、ご不在の場合は押してみましょう。
大山寺について
大山寺は標高691mの大山(おおやま)の中腹、450m地点に位置しています。四国八十八か所霊場にはお遍路さんが転んでしまうほどアクセスが不便な「遍路転がし」と呼ばれる難所がいくつかありますが、別格霊場では1番札所から全力で転がしてきます😂
大山寺は徳島県最古のお寺といわれ、寺伝によると大山寺の開基は6世紀始めの西暦500年頃。1500年以上の歴史があり、この年代にできたお寺は徳島県どころか日本最古レベルです。
平安時代前期に弘法大師が伽藍を整備し、唐で恵果阿闍梨より授かった千手観音像を御本尊として安置しました。
正式には仏王山(ぶつおうざん)玉林院(ぎょくりんいん)大山寺(たいさんじ)といい、真言宗醍醐派のお寺です。「仏王」の山号は「密教道場として最適な場所」という意味で弘法大師が名づけたもので、大山寺を拠点に四国霊場を開創したといわれています。
大山寺の御本尊
大山寺の御本尊は千手観音(千手千眼観自在菩薩)で、弘法大師が唐の青龍寺で恵果阿闍梨から授かったものです。別格二十霊場と阿波西国三十三観音霊場の札所本尊となっています。
御本尊の脇侍の不動明王は「大山無動」と呼ばれ、阿波に御遷幸された土御門上皇が国家安寧を祈願して大山寺に寄進したものです。四国三十六不動霊場、四国十三仏霊場の札所本尊となっています。
縁結びのお寺!
大山寺の絵馬には「人生すべて良縁」という言葉が書かれているとおり縁結びの御利益で有名ですが、その由来には意外なことに源義経が関係しています😲
寿永四年(1185年)源義経公阿波に上陸の折勢見山から北方に紫雲棚引く山のあるのをみ、奇異に思われ村人に尋ねたところ仏王山大山寺であると知りそこで弁慶・亀井・片岡・伊勢・駿河の守と当山へ登り武運長久を祈願し屋島に向かった。戦勝の後に一宇を建立し『吾れのみならず未来永劫の人々の願いをも聞き給え』と尊像を奉安した。そののち参詣祈願の人には必ず感応して特に良縁にあらたかであるところから『ゑんが遅けりゃ大山参りを云々』と詠われ縁結びの守護として尊ばれ広く信仰されている。
(本堂に奉納された「大山縁の神略縁起」から引用)
大山寺の御本尊は昔から縁と運に霊験があると信仰されていて、とくに「縁結び」は男女の縁だけでなく仕事運や人間関係などあらゆる良縁を結んでくれるといわれています👏
毎年4月の第1日曜日には「さくら会(え)」という縁結び祈願祭も行われています。すごくロマンチックなネーミングですが、護摩をたくのでイメージするものとは真逆な予感😂
大山寺の見どころ
大山寺で個人的に気になる&おすすめの見どころを写真つきでご紹介します!参拝される前にチェックして参考になさってくださいね。
仁王門は修復中…
大山寺の仁王門は屋根がブルーシートにおおわれ無残なお姿、現在修復中です。本堂では銅板の寄進を受け付けていました。
金剛力士も穴があいて痛々しいお姿です😢
お迎え童子はここ!
四国三十六不動霊場のお寺にはそれぞれ担当童子がいて、「お迎え童子」という像もあります。
大山寺では「矜羯羅(こんがら)童子」をお祀りしているので、矜羯羅童子さんがお出迎え。童子さんがどこにいるかはお寺ごとにバラバラですが、大山寺では仁王門前にいました。
また、四国三十六不動霊場では童子さんごとにそれぞれの”教え”があり、矜羯羅童子さんの教えは「おだやかなまなざしでありましょう」。教えのとおり、めっちゃおだやかで澄んだ目をしていらっしゃいます😂
矜羯羅童子は不動明王に仕える八大童子の一人ですが、相棒の制吒迦(せいたか)童子とともにお不動さまの脇侍レギュラーをつとめていて、合掌していたり蓮の花を持っていたりするのが代表的なポーズ。色白で、おとなしい性格なのが特徴です。
険しい参道
仁王門をくぐると本堂へ続く階段があります。木が鬱蒼としていて、先が見えない。
中ほどまで上がったところ、振り返っても仁王門が見えない。この階段は260段あります。
階段は一段一段ランダムな高さでけっこうガタガタ。土のところは木の根がうねうねしていてかなり足場が悪いですが、ほとんど手つかずな(と思われる)山は古来からの聖地の雰囲気があり、可能であれば歩いてみるのがおすすめです。
鐘楼門
階段を上がると鐘楼門が見えます。この鐘楼門は江戸時代後期の1830年~1868年に作られたもので、昭和60年(1985年)に改修されました。
納経所前の駐車場に止めた場合は、この鐘楼門まで徒歩1分くらいの楽々アクセス。鐘楼門の先にも少し階段がありますが、階段を回避したい場合は駐車場から納経所前を通るとそのまま(ほぼ)段差なしで本堂前まで出られますよ。
見どころが多い本堂
大山寺の本堂は1661年~1751年の間に建立されたもので、現在の建物は寛政8年(1796年)に再建されたもの。何度か改修を重ねていますが国の登録有形文化財となっています。屋根には金ぴかのシャチホコがいました。
お寺というよりは神社っぽい雰囲気。神仏習合の歴史を感じます👏
本堂には細かい彫刻が施されていて、木鼻の龍はビッグサイズ。
お迎え童子とは別に本堂にも矜羯羅童子がお祀りされています。毛糸の帽子があごひも付きなのがかわいいですが、お迎え童子と違ってまなざしがおだやかじゃない😂
お前、別格霊場にもいるのか…。
謎のイベント「大山さんの力餅」
本堂にあるこれ、気になりますよね。三方に載せられた巨大な鏡餅。
これは毎年1月の第3日曜日に開催されている「力餅」という行事で使われるもので、大きな鏡餅を三方に載せ、それを持って歩いた距離を競うという奇祭。「大山さんの力餅」と呼ばれ、毎年100人以上が餅を運んで力比べをしています。
「力餅」の重さは幼児13kg、小学生54kg、女性69kg、男性136kgと参加者によってハンデあり(重さは平成31年度のもの)。奉納される鏡餅を使用するため重さは毎回微妙に違いますが、男性が担ぐ力餅は三方と合わせると170~180kg程度になります。
優勝する人はこれを持って50mくらい歩くそうです。すげぇな。
大師堂前には力餅の像。苦行かな?
力餅は1600年頃から続いていて、400年の歴史がある伝統行事なんです。行事の内容だけ聞くとバブル期に始まったおふざけ系イベントのようですが、由来を見ると城主とか藩主とか出てくるとても由緒あるもの。
戦国時代、近隣にあった七条城の城主・七条兼仲(しちじょうかねなか)は当山に祈願し怪力を得たとされる。そのお礼として九重の石塔と鏡餅を当山に背負い上げたと言われている。この伝説に因み、江戸時代になると徳島藩主蜂須賀家は家臣に大鏡餅を担がせ力自慢を競わせた。
(wikipedhia大山寺(徳島県上板町)から引用)
当時は七条兼仲が鏡餅を寄進していたそうで、藩政時代には蜂須賀家が寄進していたそうです。
アバンギャルドな吐水龍
本堂の少し手前には手水舎がありますが、吐水龍のクセがすごいんです。今まで徳島県内外のいろんな寺社に行きましたが、ダントツで変わってる。
そもそもそれは何をかぶっているのか、そのポーズは何を表現しているのか…ヒゲの角度も鋭角すぎん?よく見ると龍とは違うところから水が出ていて、この子は吐水龍じゃないところも謎めいていました。
弁慶が植えたイチョウの木
本堂の前にある大きな木はイチョウの木で、これは源義経に仕えた武蔵坊弁慶が植えたものといわれています。
義経一行が戦勝祈願で大山寺を訪れたとき、弁慶が持っていたギンナンを記念に植えたとか。とすると、樹齢800年くらいでしょうか。写真ではわかりにくいですが、かなりの巨木で幹周りの太さもすごいです。
弁慶のイチョウの根元には小さな地蔵菩薩?弘法大師?が鎮座しています。
一面の黄色いじゅうたんを期待して、12月上旬に参拝したらこの有様😂黄色く見えるのは奥にある別のイチョウの木で、弁慶のイチョウは98%落葉といったところ。
山の上なので平地よりも見ごろが早いようで、大山寺のイチョウは11月下旬がピークの模様。また来年…。
江戸時代に建てられた大師堂
本堂の隣には大師堂があり、こちらは文久3年(1863年)に建てられたものです。
大師堂には弘法大師のほか神変大菩薩(じんべんだいぼさつ、役行者のこと)や歓喜天、愛染明王もお祀りされているので、縁結び祈願をしたい方はこちらもしっかりお参りしましょう👏
大師堂と本堂は回廊でつながっていて、たくさんの絵馬や千羽鶴が奉納されていました。この回廊は江戸時代後期の1830年~1868年に作られたものです。
西国三十三観音の石像
大師堂前にある小さな石仏の集団は天保2年(1831年)に作られた西国三十三観音像です。昔は大山寺の参道沿いに点在していたとか。ギュッとまとめられているので奥のほうはあまり見えないのが残念。
薄雪の墓
本堂の左側には何やら小さな小屋があります。
中には馬の像がありますが、この馬は源義経の愛馬で「薄雪(うすゆき)」といいます。大山寺で戦勝祈願をし、屋島の戦いで見事勝利した義経は、お礼として薄雪を奉納しました。名前のとおりに真っ白で、名馬と名高い薄雪は当時かなりの評判になったとか。
死後は大山寺で手厚く葬られ、薄雪のお墓が残っています。左側の屋根付きの五輪塔が薄雪のお墓で、隣の九重の塔は七条兼仲ゆかりのもの。
もともとは昔の参道沿いにあり、「義経の馬の墓」として地域で親しまれていたそうです。
薄雪の銅像は嘉永5年(1852年)に奉納されたもので、お股のクオリティーを追求しすぎなのが気になります。
まとめ
大山寺はアクセス不便な山の中にありますが、徳島県最古のお寺で1500年以上の歴史があります。
四国別格二十霊場や四国三十六不動霊場など複数の霊場で札所となっているので、いただける御朱印がたくさんあり、各霊場の巡拝グッズも多数扱っています。
源義経にゆかりのお寺で、弁慶が植えたイチョウの木や義経の愛馬・薄雪(うすゆき)のお墓があり、歴史好きにもおすすめですよ。
四国八十八か所霊場第5番札所から車で15分くらいなので、あわせて参拝してみては。
▼四国三十六不動霊場の次の札所はこちら▼