徳島市の国瑞彦(くにたまひこ)神社には歴代の徳島藩主がお祀りされています。
『歴代藩主がお祀りされているなら、さぞかし立派な雰囲気なんだろうな』と思うかもしれませんが、驚くほどさっぱりとした境内でした。
富田八幡神社のすぐ隣にあり、御朱印は富田八幡神社の社務所でいただけます。徳島駅からも徒歩圏内なので、徳島駅周辺の御朱印巡りにおすすめの神社です。
国瑞彦神社へのアクセス
国瑞彦神社は国道438号線から奥まった場所にあり、住宅街の中にあります。
徳島駅から車で5分程度の場所にあり、富田八幡神社のすぐ隣です。周辺は一方通行が多く、車だと逆に不便かもしれません。
国道438号線を佐那河内方面へ進み、「東大工町」交差点で右折します。道なりにまっすぐ進むとつきあたりに瑞巌寺があり、左折して「モラエス通り」に入ります(ここから一方通行)。
入り口には鳥居がないのでわかりにくいですが、社号を書いた石柱があります。
国瑞彦神社の駐車場
国瑞彦神社には駐車場はなく、境内に停める形でした。
手前にあるのは神社の駐車場ではないので、そのまま奥の境内に車で入ってください。
公共交通機関でのアクセス
国瑞彦神社はJR徳島駅からも歩いて行ける距離です(徒歩20分弱)。
最寄り駅はJR牟岐線阿波富田駅ですが、JR徳島駅からの距離とほとんど変わりません。
- JR徳島駅から1.4km
- JR阿波富田駅から1.2km
バスを利用する場合
- JR徳島駅前バスターミナルから徳島市営バスに乗車し「大道一丁目」バス停下車、300メートル
国瑞彦神社の御朱印
国瑞彦神社の御朱印は富田八幡神社の社務所で書いていただけます。
初穂料は300円です。
国瑞彦神社について
国瑞彦神社は文化3年(1806年)に11代目藩主・蜂須賀国治昭(はるあき)公が藩祖・家政公を偲んで「国瑞彦」の神号を受けて奉祀したのが始まり。
藩主の崇敬が厚く、藩政時代や明治維新後も蜂須賀家が社殿の修復などを行っていました。第二次世界大戦後は蜂須賀家の支援がなくなったため、国瑞彦神社は荒廃してしまいました。
かつてはお城のような石垣と立派な神門がある神社でしたが、戦火で大部分が焼失しています。
神門の一部は近くにある瑞巌寺の山門に再利用されているそうです。再利用された部分がどこなのかはわかりませんがとても立派な山門で、かつて歴代藩主に崇敬されたという国瑞彦神社の面影を感じられます。
国瑞彦神社の御祭神
蜂須賀家政公をはじめとする、歴代の徳島藩主が御祭神。
国瑞彦神社には蜂須賀家の家祖・正勝公と徳島藩文武有功の士92人も合祀されています。
国瑞彦神社の御利益
国瑞彦神社には所願成就や子孫繁栄・一族繁栄の御利益があります。
国瑞彦神社の見どころ
さっぱりした境内
国瑞彦神社は歴代藩主を祀った神社とは思えない、かなりさっぱりとした境内でそれほど広くはありません。鳥居はなく、注連柱のみで狛犬も不在。
隣の富田八幡神社と境内がつながっていますが、境内社ではなく独立した神社だそうです。
右隣には保育所があり、いつも子供の声がしてにぎやかです。
シンプルな拝殿
拝殿もかなり新しめで、昭和63年(1988年)3月に新築されたものです。
手すりがピンクっぽいのが特徴、赤だったものが色あせた感じがします。社殿の背後には眉山が迫り、自然豊かな環境にあります。
横から見るとこんな感じで、なぜか廃材や脚立のようなものが放置されているちょっと悲しい光景。
拝殿の提灯には明かりが灯り、注連縄は新しくてきれいでしたが蜂須賀家の支援がなくなって以降の荒廃ぶりを感じることができます。
春は桜のトンネル
季節限定ですが、4月上旬の桜の見ごろには参道の小さな桜並木がきれいですよ。
眉山は徳島県内有数の桜の名所で、眉山のふもとの神社仏閣でも桜が楽しめます。
まとめ
国瑞彦神社は、歴代藩主がお祀りされているとは思えないほどさっぱりとした境内の神社です。
かつてはお城のような石垣と立派な神門があり、歴代藩主の崇敬が厚かったという威風堂々とした神社でした。現在は面影を感じることができませんが、国瑞彦神社の神門の一部は近くの瑞巌寺の山門に再利用されていて、現在も見ることができます。
富田八幡神社のすぐ隣にあるので、合わせて参拝するのがおすすめですよ。
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