天石門別八倉比売(あまのいわとわけやくらひめ)神社は徳島市西部の国府町にあります。正式名称より「八倉比売(やくらひめ)さん」「八倉比売神社」の通称のほうが有名かも。
周辺には古墳や遺跡がいっぱいあり、「国府(こくふ)」という地名からもわかるように、古くはこのあたりが阿波国の中心部でした。近くには阿波国分寺と国分尼寺跡があり、四国霊場の札所も密集していて古代からとても重要なエリアだったっぽい場所です。
現在の阿波国一の宮は鳴門市の大麻比古(おおあさひこ)神社ですが、古くは八倉比売神社が一の宮であるとされていました。
八倉比売神社の見どころや、ちょっとわかりにくい御朱印がいただける場所についてご紹介します💁♀️
八倉比売神社へのアクセス
国道192号線と県道29号線の交差点を神山町方面へ進むと「阿波史跡公園」「考古資料館」の案内標識があるので、そこで曲がります。考古資料館を通り越してもう少し進むと、山際に八倉比売神社の鳥居が見えます。
- 徳島市中心部から車で15分くらい
八倉比売神社の駐車場
阿波史跡公園の駐車場が無料で利用できます。
ただし、駐車場から神社まではかなり急斜面の山道を500m~600mくらい登ることになるので、あまりおすすめできません🙅♀️神社下の階段前に車を数台停められるスペースがあるので、お参りするだけの短時間ならそちらがおすすめ。
公共交通機関でのアクセス
八倉比売神社は微妙にアクセス不便な場所にあります。車推奨。
- JR徳島線府中(こう)駅から約3km
バスの場合は最寄りバス停から徒歩30分~40分くらい。
- 徳島バス鴨島線に乗車し「鳥坂(とっさか)北」バス停で下車、約2km
- 徳島バス天の原西線(刑務所前行き)に乗車し「八倉比売口」バス停で下車、約2km
八倉比売神社の御朱印
八倉比売神社は参道の途中に社務所兼宮司さん宅があり、訪ねて御朱印をいただきました。
お守りやお札などの授与品も宮司さん宅にあったので、授与を希望する場合は訪ねてみましょう。黒っぽい外観で、玄関に「八倉比売神社社務所」と書かれているのですぐにわかります。
八倉比売神社について
八倉比売神社は気延(きのべ)山に連なる標高120mの杉尾山に鎮座しています。
杉尾山は「矢野神山(やののかみやま)」とも呼ばれ、古代からとても神聖な山とされています✨山全体が御神体で、八倉比売神社も古くは「杉尾大明神」と呼ばれていました。
もともとの社地は気延山山頂にあり、推古元年(593年)に杉尾山に遷座されました。気延山には大小合わせて200の古墳があり、いちばん大きな前方後円墳の上に八倉比売神社の境内があるといわれています😲
神社の正確な創建年は不明ですが、安永2年(1773年)に書かれた文書には創建から2150年という記載があり、これが本当であれば紀元前300年代の創建なので日本最古級の神社ですよね。境内にある「天石門別八倉比売神社略記」にはいろいろとすごいことが書かれているので、ぜひ現地で読んでください。
また、八倉比売神社は式内大社・天石門別八倉比売神社の論社のひとつです。
天石門別八倉比売神社の論社は八倉比売神社のほか、
- 一宮神社(徳島市一宮町)
- 上一宮大粟神社(名西郡神山町)
の2社があります。
八倉比売神社の御祭神
八倉比売神社の御祭神は大日孁女命(オオヒルメノミコト)、別名・八倉比売命(ヤクラヒメノミコト)。どちらも聞きなれないお名前ですが、この神さまは天照大神と同神とされています。
社伝には天照大神の葬儀の様子が描かれているといわれ、境内の案内板や社務所でいただいた由緒書きにも
当八倉比賣大神御本記の古文書は、天照大神の葬儀執行の詳細な記録で、道案内の先導伊魔離神、葬儀委員長大地主神(オオクニヌシノカミ)、木股神、松熊二神、神衣を縫った広浜神が記され、八百萬神のカグラは、「嘘楽」と表記、葬儀であることを示している。
(境内案内板から引用)
このような記載があります。
また、境内の案内板によると八倉比売神社の御祭神は火伏の神であり水の神であるといわれています。
銅板葺以前の大屋根棟瓦は、一対の龍の浮彫が鮮かに踊り、水の女神との習合を示していた。古代学者折口信夫は天照大神を三種にわけて論じ、「阿波における天照大神」は、「水の女神に属する」として、「もっとも威力ある神霊」を示唆しているが、 余りにも知られていない。
当社より下付する神符には、「火付せ八倉比賣神宮」と明記。(境内案内板から引用)
太陽神である天照大神が「水の神」というのは不思議ですね🤔
八倉比売神社の見どころ
八倉比売神社で個人的に気になる&おすすめの見どころを写真つきでご紹介します!参拝される前にチェックして,
参考になさってくださいね。
長~い参道
標高120mの山の中腹にある八倉比売神社、ふもとから歩いて行く場合はまずここからスタートです。
鳥居の周辺には徳島の神社ではおなじみの地神塔があり、注連柱のようなものが4本。御旅所でしょうか?
これが一の鳥居っぽく思いますが、本来の一の鳥居はここから1kmくらい離れた鮎喰川の堤防付近にあります。この鳥居は御本殿の真東に位置しているそうです。
むちゃくちゃ長い参道なので、かなりの昔から信仰されていた格が高い神社であることがうかがえます。
鳥居の扁額には「天石門別八倉比売神社」とあり、社名が長すぎて額いっぱいにみっちりと詰まっています。御朱印の墨書きも同じ書き方でした。
「弘化三」と彫られているので、この鳥居は弘化3年(1846年)に奉納されたものでしょうか。
参道は前半後半に分かれていて、最初の鳥居からしばらく進むと阿波史跡公園に続く車道に合流します。ゆるーい坂道で、すでにけっこう上がった気がしますがまだまだ参道の4分の1程度です(絶望)。
ちなみに、ここから左手に見える黒い外観のお宅が宮司さん宅なので、御朱印やお守りなどを受けたい場合は帰りに訪ねてみましょう💁♀️
そのまま奥に進むと史跡公園の竪穴式住居などが並んでいる広場が見えます。余談ですが、紅葉の時期は広場から見る山が意外ときれいですよ。
八倉比売神社へ行く場合は広場の手前でさらに山の上へ行きます。杖が置いてあるので、徒歩の場合は借りるのが激おすすめ。かなりの傾斜なのでふくらはぎがパンパンになり、運動不足な体にこたえます😂
車の場合はこの道をそのまま上がることもできますよ。
急な坂道を上がりきると、山の中に迫力ある大きな木の鳥居が現れます。
先が見えないほどそびえる階段はおよそ180段、上がるのに必死すぎて行きと帰りで数が合わなかったので「およそ」で濁しておきます😂
聖なる山に鎮座する社殿
手ごわい階段を上がると目の前にようやく拝殿が見えますが、神々しいの一言です。ものすごく雰囲気がありました😲
現在の拝殿はこの地域出身の藍商・盛六郎右衛門が江戸時代に寄進したものだそうです。
参拝する人が少ないので基本的に人の気配はありませんが、気延山一帯がハイキングコースになっているのでたまにご老人の集団に遭遇します。
人がいないぶん、ゆっくりと境内を見て回ることができるのがありがたい。
御本殿は神陵を削って建てられたといわれ、立派な石垣の上に乗っています。階段があり、周囲を一周することもできますよ。
狛犬
階段近くの狛犬は新しい感じ。
拝殿前の狛犬は苔むしていて古そうですが、年代は読み取れませんでした。
境内社いろいろ
境内、境外に摂社・末社がいくつかあります。
稲荷神社
拝殿の右隣には赤い鳥居のお稲荷さん。小さなお社はまだ新しいものでした。
狛狐の奥には一対の古い狛犬がいますが、片方はほぼ原形をとどめていません。台座がボロボロに崩れていて、奉納された年代は不明です。
吽形は前足に玉をのせた変わったスタイルでした。初めて見たかも。招き猫みたいな前足がかわいいです。
大泉神社
時間の都合で参拝できませんでしたが、大泉神社も八倉比売神社の境外摂社だそうです。大泉神社では「天の真名井」といわれる井戸がお祀りされていて、こちらも奥の院と同じく五角形の石組でできています。
拝殿から稲荷神社方面へ行って坂を下り、200~300mくらいの場所にあるそうです。
箭執神社
箭執(やとり)神社は参道の途中にあります。
御祭神は櫛岩窓命(クシイワマドノミコト)、豊岩窓命(トヨイワマドノミコト)の2柱。この神々は「天石門別神(アマノイワトワケノカミ)」といい、天照大神の神殿の門を守っていた神さまです。神社の随神門にいるのもこの神々だとか。
こちらは八倉比売神社と同じく、かなり古くからお祀りされているそうです。
松熊神社
参道の途中にありますが、こちらは写真を撮り忘れました💦
御祭神は手力男命(タヂカラオノミコト)と天宇受女命(アメノウズメノミコト)の2柱。天照大神の天岩戸隠れのときに活躍した、ゆかりが深い神々です。
社伝によると箭執神社を「矢の御倉」、松熊神社を「弓の御倉」といい、天照大神が高天原から天下ったときにお守りした神さまだとか。
伊魔離神社
伊魔離(いまり)神社は社伝に書かれた天照大神の葬儀で道案内の先導をしたという神さま。こちらは参道入り口の鳥居から少し離れた場所にあります。
奥の院は卑弥呼の墓?
八倉比売神社を参拝するなら、奥の院へも行ってみましょう。拝殿の右手に隠し階段みたいな細い階段があり、さらに山の上へ行けるようになっています。それほど遠くはなくて、5分もかからず上がれました。
夏場は蚊と蜂が気になるので、しっかりと虫よけ対策をして行くのがおすすめです。
階段を上がると見えてきました、謎の石組み。これが噂の卑弥呼の墓といわれる謎の祭壇です😲誰もいない山の中、シーンとしてすごい神聖な雰囲気でした。
噂通りの五角形で、阿波の青石でできています。
・高さは50cmくらい
・一辺は2.5mくらい
祭壇は一周できるようになっています。裏側からの眺め。
こちらは卑弥呼の時代からずっとここにあるものではなく、八倉比売神社が山の上から現在地に遷座したときに一緒に移されてきたそうです。
杉尾山に200ある古墳群の中心地がこの場所で、何か意味があってここに祭壇が作られたことがわかります。独特の雰囲気があり、ちょっと怖かったので早々に退散しました💦
まとめ
古代には阿波の中心地で、阿波国一の宮でもあった八倉比売神社。山全体が御神体といわれる杉尾山はとても神聖な雰囲気でした。山のふもとから続く参道はかなりの距離があり、やはり昔から信仰されていた格が高い神社という印象。
現在は大麻比古神社が一の宮なので、こちらはあまり参拝する人がなくちょっと寂しいですが、そのぶんゆっくりとお参りができて聖地の雰囲気もじっくりと感じることができますよ。