滝宮(たきのみや)神社は滝宮天満宮の近くにある神社で、2つの神社を総称して「滝宮両社」といいます。
創建から1300年以上の歴史があり、かつては「牛頭天王社」と呼ばれていました。牛馬守護の牛頭天王をお祀りしていたからか、境内にはたくさんのなで牛や狛牛がいます。
高松藩主からの崇敬が篤く、たびたび寄進を受けて保護されていた由緒ある神社で、初代藩主が寄進した随神門が現存しています。
滝宮神社へのアクセス
滝宮天満宮の西隣にあり、道路から鳥居が見えるので場所はわかりやすいです。
高速道路を利用する場合、各インターからの所要時間の目安は以下のとおりです。
- 高松自動車道高松西インターから30分
- 府中湖PAのETC専用スマートインターから5分
滝宮神社の駐車場
滝宮神社専用の駐車場はなく、滝宮天満宮の駐車場を利用します。
公共交通機関でのアクセス
滝宮神社は近くに駅やバス停があるので、車以外でもアクセス可能。
・ことでん琴平線滝宮駅から徒歩8分
・綾川町コミュニティバス「横町」バス停から徒歩3分
滝宮神社の御朱印
滝宮神社の御朱印は滝宮天満宮の社務所で書いていただけます。初穂料は300円です。
御朱印の受付時間などは滝宮天満宮と同じです。
滝宮神社について
滝宮神社は和銅2年(709年)に行基菩薩が創建したといわれています。
古くは「牛頭天王の祠」や「牛頭天王社」と呼ばれていましたが、明治時代になって滝宮神社に改められました。香川県内外から牛馬の守護神として信仰され、畜産業に関わる人などが牛馬の安全祈願をしています。
菅原道真公が讃岐の国司として赴任していた仁和2年(886年)~寛平2年(890年)までの4年間は讃岐一国の氏神とされ、崇敬されていました。
「日本祇園八社」のひとつで、南海道(四国と和歌山県)の総鎮護神とされる由緒ある神社です。境内には「祇園宮」と書かれた古い灯籠がありました。
★滝宮神社の表記は「滝宮」と「瀧宮」の両方があり、どちらが正しいのかは不明。鳥居や拝殿の扁額は「瀧宮」、御朱印は「滝宮」表記でした。
滝宮神社の御祭神
滝宮神社の御祭神は建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)、合殿として櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)、八将之王子(ハチショウノオウジ)。
★スサノオには「素戔嗚尊」、クシナダヒメには「櫛名田比売」など別の表記もあります。
クシナダヒメはスサノオの妻で、神話で有名な八岐大蛇(ヤマタノオロチ)のエピソードに登場します。ヤマタノオロチに生贄として食べられそうなところをスサノオに助けられました。
八将之王子は須佐之男命の8人の御子神のこと。もともとは仏教を守護する八方位の神でしたが神仏分離によって別の神に変わりました。現在の八将之王子はスサノオと天照大神の誓約で生まれた五男三女神のこと。
- 天之忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)
- 天之菩卑能命(アメノホヒノミコト)
- 天津日子根命(アマツヒコネノミコト)
- 活津日子根命(イクツヒコネノミコト)
- 熊野久須毘命(クマノクスビノミコト)
- 多紀理毘売命(タキリビメノミコト)
- 市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)
- 多岐都比売命(タキツヒメノミコト)
滝宮神社の御利益
滝宮神社には厄災除け、夫婦和合、子宝、天候祈願の御利益があります。
滝宮神社の見どころ
藩主が寄進した神門
滝宮神社の境内入り口にある古びた門。屋根のシャチホコが片方しかないのが気になる。
この随神門は初代高松藩主・松平頼重(まつだいらよりしげ)公が寛永21年(1644年)に寄進したものが現存しています。
門の中には大きなわらじと随神がいらっしゃいます。
随神は狛犬や金剛力士のような「阿吽」ではなく、「右大臣・左大臣」の構成。おひげがあるのが左大臣です。
正式には「豊磐間戸命(トヨイワマドノミコト)」と「櫛磐間戸命(クシイワマドノミコト)」というお名前があり、天照大神が天の岩戸から出てきた後、新しい宮殿に移ったときに門の守衛をした神さまです。この神々のことを「天石門別神(アマノイワトワケノカミ)」ともいいます。
手の形からおそらく左大臣は刀を、右大臣は弓矢を持っていたような感じですが現在は手ぶら。
随神門の前には狛犬もいて、滝宮神社の境内はがっちり守られています。
なで牛?狛牛?
随神門を入ってすぐ、大きななで牛。ニコニコした感じのかわいい表情です。向かいにも小さななで牛がいましたが写真は撮り忘れ。
もともと「牛頭天王社」だったからか、境内にはなで牛がいっぱいです。対の配置になっているのでむしろ狛牛…なのかな?でも阿吽ではありません。
無理やり座った感がすごいですが、折りたたんだ足がかわいいです。向かって右側の狛牛さんは片方の耳が欠けていてかわいそう。
この狛牛は皇紀2600年記念に昭和15年(1940年)に奉納されたもののようです。
重厚な社殿
滝宮神社には社務所もなくふだんは無人なので、拝殿の扉はお正月と8月の念仏踊り以外は閉まっていて中は見えません。
拝殿と幣殿は平成8年(1996年)に建て替えられたばかりで、立派な屋根瓦はピカピカでした。
本殿には細かな彫刻が施され、とても立派でした。神社の本殿ってわりと質素なものが多いので、珍しい気がします。川が近いからか大きな岩の上に建てられていて、かなり高い位置にありました。
天正年間(1573年~1592年)に兵火によって焼失したため万治3年(1660年)に再建され、明治2年(1869年)に改築されています。天正年間の兵火…またあいつの仕業か。
境内社
滝宮神社の境内にはいくつかの境内社がありますが、いずれも御祭神や由緒などは不明。
田賀稲荷社
八社之宮
伊佐雄神社
念仏踊の碑
「滝宮の念仏踊り」は1000年以上続く伝統行事で、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
道真公が讃岐の国司をしていたとき、干ばつに悩まされる領民を救うために7日間の祈願をして雨が降ったというエピソードがあり、喜んだ領民が踊ったことが念仏踊りの始まりです。
★毎年8月25日に滝宮神社と滝宮天満宮で奉納されています。
・滝宮神社 8:00頃から
・滝宮天満宮 13:20頃から
まとめ
滝宮神社は創建から1300年以上の歴史がある神社で、牛頭天王社の祠と呼ばれていた時代から地域でとても大切にされています。社務所がなく無人なのでふだんはひっそりとしていますが、境内にはたくさんのかわいい狛牛がいたり、藩主が寄進した随神門が残っていたりと見どころもあります。
滝宮天満宮のすぐ西隣にあるので、あわせて参拝してみては。