→→徳島・四国の郵送対応御朱印まとめ

徳島県板野郡|愛染院はわらじだらけの不思議なお寺!足腰の御利益と梵字の御朱印で有名

四国霊場

愛染院(あいぜんいん)は四国八十八か所霊場第3番札所金泉寺の奥の院。

珍しい坐像の不動明王をお祀りしていて、「那東(なとう)のお不動さん」として親しまれています。幹線道路から外れた山際にあり、ちょっと場所がわかりにくいですが、山門の巨大なわらじが気になるお寺。

四国で唯一という、刷毛で書く梵字の御朱印も珍しくて必見です!お遍路さんじゃなくてもお参りしてみては😆

スポンサーリンク

愛染院へのアクセス

愛染院
〒779-0111
徳島県板野郡板野町那東居内32

愛染院は金泉寺から約3kmの場所にあります。

県道12号線沿いに小さな看板がありますが、見えにくい場所にあるので入り口がちょっとわかりにくいです。周辺はかなり道幅も狭く、お寺前の道は舗装されてない砂利道でした。

近くまで行くと、壁一面に書かれたこの「奥の院愛染院」が見えます。

愛染院の駐車場

境内の空きスペースに駐車する形で、参拝者は無料で利用できます。境内に墓地があるので、お彼岸などはお墓参りの方が増えて駐車できないことがあるかもしれません。

お寺の前の道はこんな感じで、普通車以上だと厳しい道のり。くれぐれも通行にご注意ください。

駐車場の隅には気になる修行大師、近くの民宿の看板です。

公共交通機関でのアクセス

最寄り駅からの距離があるので、車以外で行く場合はバスがおすすめです。

  • JR高徳線板野駅から3km
  • 徳島バス鍛冶屋原(かじやばら)線に乗車し「那東東(なとうひがし)」バス停で下車、400m

愛染院の御朱印

愛染院の御朱印は刷毛(はけ)で書かれる全国的にも珍しいもので、四国では唯一の激レア御朱印です。梵字も豪快でかっこいいですよね✨

ご住職が不在のときは書置きをいただけるそうですが、書いているところをぜひ見て欲しいです🤗

筆とは違う刷毛の動きが何とも不思議で、見入ってしまいました。かすれ方も筆とは違った味わいがあります。筆よりも扱いが難しそうなのに、意外とあっという間に書きあがるのもすごい!

納経料:300円

愛染院の御影

愛染院で納経をすると、御本尊のお姿を描いた御影(おすがた・おみえ)が無料でいただけます。

愛染院について

伝承によれば平安時代前期の弘仁7年(816年)四国を巡錫中の弘法大師(空海)がこの地に霊気を感じた。そこでみずから不動明王を刻み、ここに本尊として安置したのが始まりと言われている。 明治・大正時代までは「阿弥陀寺(あみだんじ)」と呼ばれていたが、大正10年に四国二十一番札所太龍寺の境内にあった「愛染院」と合併し、現在の寺名となった。

Wikipedia愛染院より引用)

愛染院は弘法大師による開基で、1200年以上の歴史があるお寺です。

もともとは「阿弥陀寺(あみだんじ)」という寺号で、「愛染院」は大正10年(1921年)に21番札所太龍寺にあった愛染院と合併したことからつけられました。現在も寺号ではなく、「愛染院」と呼ばれています。

正式には金鶏山(きんけいざん)愛染院(あいぜんいん)といい、高野山真言宗のお寺です。

愛染院の御本尊

愛染院の御本尊は不動明王。拝顔はできませんが、尊像は座像で、とても珍しいものだとか。お不動さんの座像、意外とありそうですが珍しいんですね🤔

「愛染院」という院号からやはり愛染明王を連想しますが、御本尊はお不動さん。愛染院には「那東のお不動さん」という愛称もあります。

しかし、本堂前の石碑にはなぜか「本尊 愛染明王」とあり、一瞬『あれ?やっぱり愛染明王が御本尊なん??』となります😂

堂内には愛染明王と大日如来も安置されているそうなので、そのことを指しているんですかね?🤔ちょっとよくわかんない。

愛染院の見どころ

愛染院で個人的に気になる&おすすめの見どころを写真つきでご紹介します!参拝される前にチェックして参考になさってくださいね。

駐車場に境内案内図がありました。コンパクトな境内です。

わらじが目立つ仁王門

愛染院といえばやっぱりこれ、仁王門の大きなわらじがトレードマークです。高さ2mくらいありそうなビッグサイズでした。

外側にはビッグわらじが鎮座しているので、金剛力士は門の内側にいます。

愛染院の金剛力士は木造ではない質感で若干おもちゃっぽい雰囲気があり、とてもカラフル。吽形と阿形でお顔立ちと造形がずいぶんと違うので、それぞれ違う方の作っぽいですね。

仁王門の天井にはひそかに天女絵がありますが、残念ながらこちらはちょっとかすれていました。かつては美しい彩色があったんだろうな、という感じ。

仁王門は彫刻にもそれぞれ色彩があり、とても華やかでした。門からの眺めも田舎ののんびりとした風景で素敵。

ちなみに、納経所の呼び出し用インターホンは仁王門についています。写真の「納経所」看板の左側にひっそりとあるので、納経所に誰もいない場合は押してみましょう。

本堂

愛染院は境内が横長で、それほど広くはありません。本堂前には立派な植木があり、時期によると本堂が見えないくらいワサワサしています。

本堂前には昔の手水鉢っぽいものが置いてありました。鉢のふちにはゴキゲンなお顔のシャチホコもいます。以前はこの子も屋根にいたんでしょうか。

本堂にはさまざまな奉納額があります。右側の赤い額は愛染院の御詠歌なんですが、句読点があるとなんかコレジャナイ感ありますね😂

愛染院の御詠歌
まつが枝に 御ひかり照らす 金鶏の 佛を頼め たすけまします

左奥には賓頭盧(びんずる)尊者もいました。「びんずるさん」と呼ばれるなで仏で、自分の体の悪いところと同じところをなでると病気が治ると信仰されています。

本堂の縁側はスペースが狭く、ややなでにくいびんずるさんでした。

大師堂

こちらは大師堂。屋根は古そうですが、外壁は修復されたばかりっぽい新しいものでした。

手作り感あふれる扁額には山号の「金鶏山」と昔の寺号「阿弥陀寺」と書かれていました。

大師堂では尊像を拝顔できませんが、大師堂前に弘法大師像があります。修行大師像ではなく、坐像でした。このお大師さん、スッと前を見据えたいいお顔をしていらっしゃいます。

愛染院に祀られている「赤澤信濃守」

愛染院の本堂隣には大きなわらじが掲げられている謎の建物があります。中に入ると、両側の壁いっぱいに一面のわらじの山、山、山!😲

この廟がこんなにわらじだらけなのには、ちゃんと理由があります。

当院には戦国時代この地を治めていた板西城主の赤澤信濃守崇伝の廟が祀られている。赤澤信濃守は天正10年(1582年)長宗我部元親の阿波進攻に際し、中富川の戦いにおいて討ち死にしたと伝えられている。 いつのころからか、この廟に参詣すると腰から下の病が治癒するとの信仰を集めるようになった。信濃守が履いていた草鞋の紐が切れたために戦に負けてしまったという言い伝えのためか、治癒した信者は当院に草鞋を奉納する習わしがある。またこの赤澤信濃守廟と仁王門の前にはそれぞれ大わらじが奉納されている。

Wikipedia愛染院より引用)

またお前か😂

▼いっぱいあるよ🙋‍♀️長宗我部元親の天正の兵火被害者の会一覧▼

長宗我部元親被害者の会
長宗我部元親は土佐国(高知県)出身の戦国武将で、四国の戦国武将といえば真っ先に名前が上がるほど知名度がありますよね。 ただ、本能寺の変が起こると織田信長死去の混乱に乗じて四国を制圧し、その過程で数々の寺社や城郭・文化財をことごとく焼き払った...

信濃守は「中富川の戦い」で長宗我部方の武将にとどめを刺す寸前まで追い詰めましたが、わらじの紐が切れたことで形勢が逆転し、討ち取られてしまったという悲劇の武将😢奥方も足が弱いため逃げ延びることができずに自害、信濃守の幼い娘も捕らえられて処刑されたそうです。。。

この「中富川の戦い」は阿波国史上いちばん人的被害が大きかった合戦で、阿波国の主要な武将のほとんどがこの戦で討死し、城郭もすべて焼き払われました。くわしくは⇒Wikipedia中富川の戦い

廟の裏手の墓地には名もなき兵士の墓が無造作に積み上げられていて、物悲しい雰囲気でした。人によってはこの廟やお墓の雰囲気が不気味に感じるかも。

お守りあります!

わらじの紐が切れたことで討ち取られたという信濃守、なぜか現在は「足腰の病気を治してくれる神さま」として信仰されています。

信濃守に願掛けをした人は、病気が治ったお礼としてわらじを奉納するという風習があるそうですが、廟の中のわらじの山を見ると今までたくさんの人を救ってきたのがわかりますね。わらじの他にも杖や歩行を支える器具などもたくさん奉納されていました。

納経所では信濃守の足腰のお守りも授与していただけます。

赤澤信濃守御守:500円

まとめ

愛染院は赤澤信濃守の逸話から「足腰の御利益があるお寺」として有名ですが、幹線道路から外れたわかりにくい場所にひっそりとあるので、意外と参拝者は少ないです。

3番札所の奥の院なので、まだまだお遍路の序盤ですし、とくに歩き遍路の方は道中の安全祈願にお参りしてみては👏

四国で唯一という、刷毛で書く豪快な御朱印は御朱印集めが趣味な方にもおすすめです✨珍しい御朱印を探している方はぜひ。

おすすめのお立ち寄りスポット

愛染院の近くで御朱印がいただける神社仏閣や、合わせて行きたいおすすめスポットをまとめました。

板西城址

お城の遺構はなく小さな地蔵堂と案内板があるだけですが、赤澤信濃守ゆかりのスポット「板西城址」が愛染院から約2kmの場所にあります。

振袖地蔵

犬伏の撫養街道にそって南向きに地蔵堂が建っている。そこに「振袖地蔵」「カヨ地蔵」と呼ばれる美しい丸顔の地蔵がおさめられている。その名のおこりは、天正10年(1583)四国制覇をめざした土佐の長曽我部元親が2万2千の兵を率いて、中富川をはさんで勝瑞城の十川氏と対戦、板西城主の赤沢信濃守も一族、郎党を従えて元親の大軍と戦ったが、戦い利あらず討死、留守を守っていた奥方は逃げることの不能を悟り、姫をにがして自分は「松の木」という所で自害、姫は犬伏の諏訪神社近くで捕えられ殺害された。土地の人は姫をかわいそうに思い、地蔵を建ててその霊を弔った。姫の名を「カヨ」といったので「カヨ地蔵」、その時振袖を着ていたので「振袖地蔵」ともいう。
地蔵の建立は、享保7年(1723)とあるからずっと後世に建てられたものである。

板野町の伝説より引用)

「振袖地蔵」は赤澤信濃守の娘・カヨ姫をお祀りした地蔵堂。信濃守の奥方は幼い姫をなんとか逃そうとしましたが、捕らえられてしまいました。

逃げるときにカヨ姫は振袖を着ていたので、地蔵堂は「振袖地蔵」と呼ばれているとか。車なら5分くらいで、すぐ近くです。

タイトルとURLをコピーしました