巡錫中の空海(弘法大師)が白蛇を見、白蛇が仏の使いといわれていることから釈迦涅槃像を刻んで本尊として開基したと伝えられている。当初は現在地より4キロメートル北方の法地ヶ渓にあり白蛇山法林寺と号した。
天正10年(1582年)に長宗我部元親の兵火により焼失。正保年間(1644年 – 1648年)に現在地に移転して再興され、田園の中にあるため「田中法輪寺」と呼ばれ、当時の住職が「転法林で覚りをひらいた」ことから、現在の山号と寺号に改められた。その後安政6年(1859年)に失火にて鐘楼堂を残して全焼、明治になって現在の堂宇が再建された。
昔、松葉杖で参拝に来た人が杖がなくても歩けるようになったことから、本堂におびただしい数の草鞋が奉納されている。

Wikipedia法輪寺より引用)