秦(はだ)神社は四国八十八か所霊場第33番札所雪蹊寺(せっけいじ)に隣接する神社です。
お遍路さんでにぎわう雪蹊寺に比べるとひっそりとした静かな神社ですが御朱印をいただくことができ、この御朱印が高知オールスターと呼ぶべき豪華さ!秦神社の御朱印には長宗我部家の家紋と、坂本龍馬に影響を与えた絵師が彫った印が押されます。
車があれば桂浜からも近いので、観光の途中で立ち寄るのにおすすめです。
秦神社へのアクセス
雪蹊寺に隣接しているので、雪蹊寺の案内標識や看板を目指して行くとわかりやすいです。
秦神社の駐車場
駐車場はなく、境内に停める形だと思います。車でそのまま鳥居をくぐって入れそうな感じでしたが、雪蹊寺に駐車して参拝しました。
★雪蹊寺の駐車料金は志納制で100円を納経所で納めます。
公共交通機関でのアクセス
近くに駅がないため、車以外で行く場合はバスを利用します。
・とさでん交通長浜営業所行きに乗車し「長浜営業所」バス停で下車、徒歩3分
秦神社の御朱印
秦神社は拝殿の手前に社務所があり、そこで御朱印をいただけます。初穂料は300円です。
上部にある2つの印は左が秦神社の御神紋で「鳩酢草(かたばみ)紋」、右が長宗我部家の家紋で、「七つ片喰(かたばみ)紋」というそうです。
★秦神社の社務所がご不在の場合、若宮八幡宮で御朱印をいただけるそうです。
印がすごい!
いかにも歴史がありそうな古いこの印。
これは坂本龍馬に西洋文化を教え、多大な影響を与えた絵師・河田小龍(かわだしょうりゅう)が彫ったもの。明治12年(1879年)からずっと使われているそうです。
実際に手に取って見せていただけましたが、ずっしりとした重みでひんやりしてました。つるっとした手触りで、素材は石っぽいです。
希望すれば御朱印帳に自分でこの印を押させてくれますが、絶対敗しそうなので押していただきました☆
秦神社について
若宮八幡宮に秦神社のページがあり、そこのご由緒がわかりやすいので引用。
長宗我部氏の菩提寺であった雪蹊寺が廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐の中で明治3年廃寺となったため、元親の弟の親房の子孫と称する島弥九郎与助たちは土地の有志たちとともに再三高知藩庁に働きかけ秦神社の創建を請願し、同年12月許可が下りました。
そこで、雪蹊寺に安置されていた元親公木像(県指定文化財)、肖像画(国指定の重要文化財)、戸次川戦没者の霊板、山内忠義奉納の絵馬などを貰い受け、明治4年、因縁ある長浜城山麓の元の雪蹊寺跡に創建しました。
(若宮八幡宮公式ホームページより引用)
要約すると、
・秦神社は日本でただひとつ長宗我部元親公を主祭神とする神社
・創建は明治4年(1871年)、元親公の菩提寺である雪蹊寺が明治の廃仏毀釈によって廃寺となったため、元親の弟の子孫と地域の有志が協力して公をお祀りするための神社を建てた
という経緯で創建されました。秦神社がある場所は廃寺となる前の雪蹊寺があった場所だそうです。
「秦神社」という社名は、長宗我部氏が中国秦王朝の始皇帝の子孫とされる秦河勝の後裔と称したことが由来だとか。
秦神社の御祭神
秦神社では主祭神として長宗我部元親公、付祭神として秦家代々霊、家臣忠死徒霊がお祀りされています。
秦神社の見どころ
犬感強めな狛犬
鳥居から社殿までは少し距離があり、道路沿いにある鳥居の脇に一対の狛犬がいます。若宮八幡宮の狛犬に似た、モフっと感がかわいい犬タイプでした。
社殿
長宗我部元親公ゆかりの神社といえば土佐神社は入蜻蛉、若宮八幡宮は出蜻蛉という変わった方式の社殿が特徴ですが、秦神社はシンプルな流造り。
御神紋が入った幕と、長宗我部家の家紋入りの幟がありました。
長宗我部盛親公慰霊の碑
社殿の奥には長宗我部盛親(もりちか)公の慰霊碑があります。
長宗我部盛親は元親の四男で、戦国大名としての長宗我部家最後の当主です。
元親が頼みとしていた長男・信親が戸次川の戦いで戦死した後、家督争の末に元親の後押しによって跡継ぎとなります。家督を継いだことにより、気の毒な晩年を送りました。
父・元親の死後に長宗我部家の家督を継ぐ。関ヶ原の戦いで西軍に属すが、敗色濃厚と見て戦わず帰国し、徳川氏に謝意を表した。しかし、帰国直後に重臣たちが浦戸一揆を起こしたことをとがめられ、領国を没収され浪人となった。のち豊臣側から故郷の土佐一国の贈与を条件に旧臣と共に大坂城に入城、大坂の陣が勃発し、戦闘に参加したが敗北。再起を図るため、逃亡したが捕らえられた後、処刑された。
(Wikipedia 長宗我部盛親から引用)
大坂夏の陣によって四国の覇者・長宗我部家は滅亡し、土佐国は山内氏が治めることとなりました。山内氏は長宗我部家の菩提寺である雪蹊寺に寺領として100石を下賜して香典とし、節目の法要も行っています。
戸次川戦没者霊板
拝殿前には戸次川(へつぎがわ)の戦いで元親の嫡男・信親に殉じて戦死した兵士たちの名前が刻まれています。社宝の「戸次川戦没者霊板」のレプリカっぽいです。
家紋入りおみくじ
拝殿前にあるのはよく見かけるシンプルな紙のおみくじですが、長宗我部家の家紋入りでちょっと高級感ある。おみくじのほか、拝殿には長宗我部元親に関するパンフレット類がたくさんあるので、歴史好きな方はぜひチェックしてみてください。
▼持ち帰ったおみくじの整理に便利!▼
摂末社あります
参道の途中に立派な鳥居があり、これは別の独立した神社だと思っていましたが秦神社のWikipediaによると秦神社の摂社・末社の模様。
この西宮神社のほか、
- 竈戸神社(大年御祖神)
- 鎮八幡宮
- 祖霊舎(氏子先祖宮)
- 若宮霊廟秦分祠
以上の摂社・末社があります。境内に小さな祠がいくつかあったので、それかも。
雪蹊寺のすぐ隣
秦神社は再興された雪蹊寺(せっけいじ)に隣接しています。雪蹊寺は長宗我部家の菩提寺で、境内には元親の嫡男・信親のお墓があります。寺号は元親の法名「雪蹊恕三大禅定門」が由来。
四国八十八か所霊場第33番札所なので、御朱印もいただけますよ。
まとめ
秦神社は長宗我部元親公を主祭神とする日本で唯一の神社です。
四国の覇者・長宗我部元親公ゆかりの神社ですが、全盛期の勢いを感じる土佐神社や若宮八幡宮に比べると質素で、どこか寂し気な雰囲気でした。境内には最後の当主となった盛親の慰霊碑もあり、盛者必衰、諸行無常を感じました。
御朱印には長宗我部家の家紋が入るので、戦国武将や歴史好きな方におすすめ。社務所が無人の場合は若宮八幡宮で御朱印をいただけます。