洲本(すもと)城は阿波国の戦国武将・三好家の重臣が築城した「淡路水軍の城」。江戸時代には廃城となりましたが、現在も石垣などの遺構がたくさん残っています。
洲本市中心部ではどこからでも見える、山の上のちんまりとした天守は洲本のシンボル的存在✨こちらは本来の天守を再現したものではない「模擬天守」ですが、昭和3年(1928年)に作られたもので模擬天守としては日本最古という意外と貴重なもの😲
洲本城には最近話題のお城の御朱印、「御城印(ごじょういん)」があり、天守の東にある八王子神社では御朱印をいただくことができます💁♀️
洲本城へのアクセス
三熊山の山頂にあり、「三熊山ドライブウェイ」の途中に「洲本城跡」という分岐があります。ドライブウェイはホテルニューアワジ側、洲本市街地側どちらからでも行けて通行料は無料。
・神戸淡路鳴門自動車道洲本インターから25分程度
洲本城の駐車場
洲本城には無料駐車場があります。
三熊山ドライブウェイの分岐から山上に向かって行くと大きな駐車場がありますが、そのままさらに上がると「馬屋(月見台)」のところにも10台分くらいの駐車スペースがありました。
「馬屋」からはホテルニューアワジや由良城があった由良方面が見渡せ、展望がgoodでした🙆♀️
公共交通機関でのアクセス
淡路島には鉄道がないため、車以外で行く場合は三宮、舞子などから淡路島行きの高速バスで洲本城最寄りの「洲本バスセンター」まで。
- 洲本バスセンターからタクシー利用で15分
- 洲本バスセンターから「下の城」まで徒歩10分、「上の城」にはさらに徒歩30分~40分
洲本城の御城印
神社仏閣でいただく御朱印のお城バージョン、御城印(登城記念符)をもらえるお城もずいぶんと増えましたよね。洲本城でももらうことができ、現在は2種類の御城印があります(2020年3月時点)。
- 右:洲本城主・脇坂氏の家紋「輪違い」だけのシンプルなバージョン
- 左:天守閣から見える「洲本八景」の風景写真入りバージョン
どちらも印刷したもので、日付は自分で記入するタイプ。洲本城の御城印は国指定史跡20周年を記念して作られたそうです。
御城印は淡路文化史料館で
洲本城の御城印は山のふもとにある洲本市立淡路文化史料館1階受付で購入でき、続日本100名城スタンプもこちらで押せます。
御城印と100名城スタンプは史料館入り口前の受け付けにあるので、入館料不要です。
淡路文化史料館がある場所は「下の城」の跡地で(詳しくは後述)、史料館の向かいに見える建物が洲本城代の稲田家の屋敷跡。現在は「念法眞教洲本念法寺」というお寺?になっています。
史料館の石垣や堀の跡なども要チェックですね🙋♀️
洲本城について
1526年(大永6年)、三好氏の重臣・安宅治興が築城した。治興の後は養子安宅冬康(三好長慶弟)、冬康死後は長男信康、二男清康へ受け継がれ、1581年(天正9年)の淡路討伐の際、総大将羽柴秀吉に降り、城は仙石秀久に与えられた。しかし、秀久は九州征伐の際に軍律違反を犯して高野山へ追放され、かわって脇坂安治が城主となり、天守が造営されるとともに、石垣の大改修の際、倭城での経験から「登り石垣」が築かれた。
江戸時代になり、姫路城主池田輝政の三男忠雄が領主になった際に廃城となり、まず岩屋城、次に由良成山城に居城する。これは関ヶ原の戦い以降も、豊臣方大名の動きを牽制するために、徳川家と縁戚関係にある池田氏(忠雄の正室は徳川家康の孫)に播磨灘と大坂湾一帯を防衛させるためとされる。
大坂夏の陣の後、徳島藩の蜂須賀氏の所領となり、筆頭家老の稲田氏一族が由良城代となるが、交通の便が悪いなどの理由から1631年から1635年にかけて由良城を廃して洲本城に再び本拠を移した。この移転は城下町ごとの大移転であったため俗に「由良引け(ゆらびけ)」と呼ばれている。 現在は曲輪、池、石段、石垣、櫓跡などが残る。(Wikipedia洲本城より引用)
洲本城は続日本100名城(164番)に選定されていて、築城されたのはおよそ500年前の大永6年(1526年)。
築城した安宅(あたぎ)氏は水軍の頭領で、もともとは阿波国の守護・細川氏に仕えていました。細川氏が滅ぶと三好氏に仕え、安宅治興は三好長慶の弟(安宅冬康)を養子に迎えています。
その後、安宅氏→仙石氏→脇坂氏と城主が変わりますが、池田輝政の三男・忠雄が淡路国の領主になると洲本城は廃城となり、由良城を居城としました。安宅氏の本拠地も由良城で、洲本城は支城のひとつだったそうです。
元和元年(1615年)、阿波国の蜂須賀氏に淡路国が加増され、蜂須賀家筆頭家老・稲田氏が由良城代に。寛永8年(1631年)から4年かけて、由良から洲本へ城下町ごと拠点を移す「由良引け」が行われました。
寛永19年(1642年)には「山城は不要」とされ、政治の拠点は三熊山のふもとに移りました。現在、淡路市立淡路文化史料館がある場所が「下の城」があった場所で、こちらも洲本市の史跡となっています。
現在残っている石垣などの多くは慶長4年(1609年)まで24年間城主を務めた脇坂氏の時代に作られたものだとか。有名な「登り石垣」も朝鮮出兵の際に倭城での経験から作られたものだそうです。
洲本城では西の登り石垣と東の登り石垣が両方残っているものの、保存状態はあまり良くないそうです💦それでも、全国のお城で3つしかない変わった構造なので、ぜひ見てみたいですね。
現在のちょこんとした天守閣は昭和の始めに建てられたもので、模擬天守としては日本最古のもの。石垣や櫓跡などの遺構が残っていて、かつては広大なお城だったことがわかります。
洲本城の見どころ
洲本城で個人的に気になる&おすすめの見どころを写真つきでご紹介します!参拝される前にチェックして参考になさってくださいね。
南の丸隅櫓跡
まずは駐車場の馬屋から天守方向へ向かいます。序盤から坂道がけっこうきついですが、もう目の前には立派な石垣が!お城感MAXで、テンション上がりますね🙆♀️
天守に向かう途中、最初に現れるのが「南の隅櫓跡」。
こちらは石垣の端っこに増築した跡があるとか…🤔写真だとわかりにくいですが左のほうには切り取り線みたいに不自然な隙間があり、近くでみると付け足した感があります。
とりあえず天守へ
お城詳しくない勢なので、手っ取り早くお城感を味わえる天守へすぐ向かう奴😂さすがお城のメインを支える石垣、どっしりとした感じがありますね。
ちなみに、この石段は高さがランダムでけっこうハードでした💦
石段を上り切るとすぐ天守が見えますが…ちっちゃい、かわいい🥰
真下から見ると意外と瓦がゴツイ。平成25年(2013年)に壁面の修復工事が行われ、そのとき瓦もふきかえられたそうです。淡路島は瓦の産地なので、鬼瓦が迫力ありますね✨
以前の洲本城は展望台として天守の中にも入ることができたようですが、修復工事後は階段も撤去されて内部は完全に立入禁止となっています🙅♀️
天守は絶景!
こちらが天守からの眺め、海も洲本の街並みも一望でき、まさに絶景!
ちょうど眼下に淡路文化史料館と稲田家の屋敷跡が見えました。洲本は城下町なので、大きな道路は碁盤の目のようになってます。
晴れていれば対岸の神戸や大阪、和歌山までバッチリ見えると思われます。洲本城は淡路水軍の拠点だったので、山のふもとの船の出入りや大阪湾全体を見渡せるこの場所は重要だったんでしょうね。
天守からは「淡路富士」と呼ばれる標高448mの先山(せんざん)もきれいに見えます。
謎の観音さま
天守に上がる階段の近くには大きな木がありますが、幹にぽっかりと大きな穴が。中には金ぴかな観音さまがお祀りされています👏
観音さまの前にはなぜかたくさんの石が積み上げられていて、榊が備えられた壷には「喜左衛門」という名前が入っていました。名前的には狸っぽいんですが、洲本の狸には「喜左衛門」がいないようなのでやっぱり謎。
芝右衛門の祠
洲本といえば、芝右衛門狸。
昔々、洲本の三熊山に芝右衛門という芝居好きの狸が住んでいました。毎日のように人間に化け、木の葉を化かしたお金で大阪道頓堀の中座まで芝居見物に出かけていました。
そんなある日、とうとう変身がバレ犬に捕まってしまいました。いつまで待っても帰ってこない芝右衛門を思う洲本の人は祠を建ててお祀りすることにしました。今もなお、洲本や大阪中座では「芝居の神様」として大切にされています。(淡路島観光協会発行「国指定史跡 洲本城跡」パンフレットより引用)
「日本三大狸」にも数えられる名狸、「芝居の神さま」として芸能関係者から信仰される芝右衛門は洲本出身。洲本にお祀りされている芝右衛門の祠のひとつが洲本城の天守近くにあります。
扁額には「芝右衛門大明神」とあり、祠にかけられた幕は有名な喜劇役者の藤山寛美さんが昭和63年(1988年)に奉納したもの✨
祠の前にはかわいい狸の像がたくさん並んでいます。祠の中にも狸の像がお祀りされているそうなんですが、そちらはよく見えませんでした💦
大阪中座では「おたぬきさん」として祀られ、親しまれていた芝右衛門の祠ですが、平成11年(1999年)の中座の閉館に伴って「下の城」の近くにある洲本八幡神社に遷座されています。
世界にひとつだけの花「シロミノヤブムラサキ」
西の丸に向かう途中、整備された歩道の脇に突然謎の檻が現れます。自然豊かな山の中に似つかわしくないコレ、ものすごい気になりますよね😲
シソ科(旧分類クマツヅラ科)ヤブムラサキの一種で、実は一般的に紫ですが、白い実と白い花冠がなることからこの名が付きました。これまで、世界中でこの株以外に白実は報告されていませんでしたが、大阪府豊能町でも発見されています。
6月上旬に白い花を咲かせ、11月上旬には実も白くなります。(洲本市ホームページより引用)
檻で囲われているのは「シロミノヤブムラサキ(白実の藪紫)」という植物で、洲本市の天然記念物に指定されています。
私が行ったのは3月だったので、実どころか葉っぱもなかったんですが、この木は世界で唯一の白い花と実をつけるヤブムラサキ(大阪でも確認されたので現在は世界で2つ)というもの!
名前がヤブ”ムラサキ”なのに白い花…ものすごい激レア植物やん😲
残念石
西の丸に向かう途中にもうひとつ、気になるものが…。
\Regret stone/
「Regret=残念、後悔」、「stone=石」。英語表記のストレートさが潔いですね😂
「残念石」とは、石垣に使うために切り出されたのに何らかの理由で使われなかった石のこと。大阪城には残念石がたくさんありますが、洲本城ではこれが唯一の残念石だとか。
400年間、放置されたままこの場所に鎮座しています。
残念石の目線の先にはちょうど天守が見えます。ここから見る天守、海を背景にしてめちゃめちゃきれいに見えるベストポジションですよ🙆♀️
洲本城の鎮守!八王子神社
洲本城の鎮守として鬼門の方角にお祀りされている八王子神社。
参道にある、十二支を祀った赤い鳥居が並ぶ光景で有名ですが、八王子神社は古代の磐座を御神体としていて洲本城が築城されるよりもはるかに昔から鎮座していたといわれています👏
写真だとわかりにくいですが、八王子神社側の石垣は「鬼門除け」として角がへこんだ形で作られているのが特徴です。ちょうど参道から見えるので、こちらもチェックしてくださいね。
洲本城には多くの人がいましたが八王子神社まで来る人はいなくて、シーンと静寂に包まれて神聖な雰囲気。ですが、御神体は祠を押しつぶしそうなほどの巨石で、ちょっと異様な光景でした。
現地には社務所がないため、御朱印は洲本八幡神社でいただけます。
まとめ
今も洲本市のシンボルとして親しまれる洲本城跡。
明治時代に廃城となったために石垣などの遺構しか残っていませんが、天守は模擬天守としては日本最古という意外と貴重なもので、ちんまりとした姿がかわいらしいお城です🥰
築城されてからたびたび城主が変わりましたが、現在残る石垣の多くを建築したのが脇坂氏。脇坂氏の「輪違い」の家紋入り御城印を三熊山ふもとの淡路市立淡路文化史料館で購入できます🙋♀️
- 御城印は2種類あり、各200円
天守はちんまりとしてかわいらしいですが、洲本城は本丸のほかに西の丸、東の丸があり城郭はけっこう広めです。くまなく回るなら1時間~1時間30分程度の観光時間を見込んでおいたほうがいいかもしれません🤔
鬼門に位置する八王子神社でも御朱印をいただくことができ、こちらも山のふもとの洲本八幡神社社務所で対応していただけます。
おすすめのお立ち寄りスポット
洲本城の近くで御朱印がいただける神社仏閣や、合わせて行きたいおすすめスポットをまとめました。
洲本八幡神社
洲本城の鎮守、洲本八幡神社は永祚2年(990年)に創建された1000年以上の歴史がある古社。洲本城がある三熊山のふもとに鎮座していて、境内からは洲本城が見えます。
拝殿の左手には大阪中座から遷座された芝右衛門狸の祠も👏
洲本八幡神社に隣接する国瑞彦護国神社には「下の城」の一部(迎賓館)が移設されています。中に入ることはできませんが、洲本城関係で唯一現存しているとても貴重な建物ですよ✨
洲本八幡神社では以下の4社の御朱印がいただけます。
- 洲本八幡神社
- 国瑞彦護国神社
- 八王子神社
- 洲本神社
洲本の御朱印めぐりではぜひ訪れたい神社です😆
厳島神社(淡路島弁財天)
「淡路島弁財天」として親しまれている厳島神社。
三熊山のふもとにあり、洲本八幡神社から徒歩5分程度なので合わせて参拝してみては。こちらでも御朱印をいただくことができ、かわいい狸のお守りも授与していただけます🥰
ドラゴンクエスト記念碑
淡路島にドラクエ…?と不思議かもしれませんが、大ヒットゲーム「ドラゴンクエスト」シリーズ(通称「ドラクエ」)の生みの親である堀井雄二さんは淡路市のご出身。
この記念碑はドラクエ誕生30周年を記念して建てられたそうです。30代~40代くらいの方、とくに男性にはたまらないんじゃないでしょうか😂
「ドラクエ記念碑」は単なる撮影スポットとしてだけでなく、
盾=厄除け
剣=悪縁を切る
というドラクエファンの願いが込められ、パワースポットとしても人気なんだとか😲
洲本城から約3km、洲本バスセンターの近くにあります。