寺伝によれば、十輪寺は飛鳥時代の白雉2年(651年)讃岐国三木郡出身の僧侶・智光律師によって建立されたとされる。智光は全国行脚の後、阿波国海部郡に草庵を結んでいた。智光はここで男児が「阿波北部の説法山に寺院を建て、そこで修行するように」と告げる夢を見た。智光はその地に向かい修行を行うと、地中より「地蔵菩薩」と書かれた木板を掘り当てた。そこで智光は地蔵菩薩を彫りこれを本尊として十輪寺を建立した。智光が白雉3年(652年)に没すると地蔵菩薩も消えたという。

平安時代初期の大同(806年 – 810年)に空海(弘法大師)が智光律師の伝説を聞き及び、地蔵菩薩を彫って再びこの地に安置したと言われる。その際に、僧侶を集めて説法を行い四国霊場の談義をしたとされる。そこで十輪寺は「談義所」と呼ばれるようになった。その後、嵯峨天皇の命により備後国の僧・智明が伽藍を整備したと伝えられている。

(Wikipedia十輪寺(鳴門市)より引用)