四国八十八か所霊場第35番札所清瀧寺(きよたきじ)は高知県土佐市にある札所。
ついに高知市を離れ、土佐市に突入!高知県はもともと東西に長い県土ですが、お遍路においては西に行くほど札所間の距離が長くなるのが特徴。
「修行の道場」といわれる土佐の札所もラストスパートですね💁♀️参拝したのが雨の日だったのであんまり写真がないですが、見どころなどをご紹介します。
最新参拝日は【2023年11月24日】です
清瀧寺へのアクセス
小高い山の上にあり、車でのアクセスはかなり不便。車一台がギリギリ通れる幅の道が続き、他に道がないため寺に向かう人、山から下りてくる人とで意外と交通量が多いです。
- 高知自動車道土佐インターから10分
超絶ハードウェイをご覧あれ
清瀧寺は境内まで車で行くことができますが、道中の道がずっとこんな幅。ちなみに、清瀧寺へは左に進みます。
これはお寺に続く道の入り口なんですが、大きな車だと通行できません。
大型連休や春・秋のお遍路シーズンには行きと帰りでルートが分かれていて、警備員さんの誘導があることもあるそうですが、基本はドライバー同士の譲り合い精神での通行。
お遍路シーズン以外でも対向車にいっさい会わない、というのは厳しいと思います🥺
清瀧寺の駐車場
境内に駐車可能ですが、駐車料金は納経所で志納制で納めます。
駐車料金を納めると記念品がもらえます(鉛筆だったような気がする)。
公共交通機関でのアクセス
最寄り駅とは…?と問いたくなるほど最寄り駅・最寄りバス停から距離があるため、アクセスは車推奨。
- JR土讃線伊野駅から約10km、車で20分
- とさでん交通バス「高岡高校通」バス停で下車、徒歩40分
高知県の公式観光情報サイトでも、清瀧寺へは最寄り駅・最寄りバス停からのタクシー利用が推奨されています。運転に自信がない方もタクシー利用を検討されては。
高知県お墨付きの「おもてなしタクシー」、土佐市の事業者はこちら💁♀️
前後の札所
34番札所種間寺から6.3km
36番札所青龍寺まで9.8km
清瀧寺の御朱印
清瀧寺のお納経は独特な書体すぎて読めません😂
たぶん真ん中は御本尊の「薬師如来」…かな。
清瀧寺の御影
清瀧寺で納経をすると、御本尊のお姿を描いた御影(おすがた・おみえ)が無料でいただけます。
カラーのお姿をいただく場合は別途200円が必要です。
清瀧寺について
伝によれば養老7年(723年)行基が本尊薬師如来を刻み、寺を開創し、景山密院繹木寺(けいさんみついんたくもくじ)と称したという。その後空海(弘法大師)が巡錫、五穀豊穣を祈願して山中で一七日(7日間)の修法を行い、満願の日に金剛杖で前の壇を突くと清水が湧き出て鏡のような池になったことから醫王山鏡池院清瀧寺と改めたという。
平城天皇の第3皇子である高岳親王は薬子の変に連座したことから仏門に入り空海の弟子となり真如と名乗った。貞観3年(861年)に本寺に来錫し逆修塔(生前墓)を建てた。
江戸時代は繁栄したが、明治4年(1871)廃寺となり、同13年(1880)再興された。(Wikipedia清瀧寺(土佐市)より引用)
清瀧寺は行基菩薩による開基で、当時は院号が「景山密院」、寺号が「繹木寺」でした。後に弘法大師がこの地で修法を行い、現在のように院号・寺号を改めました。
江戸時代に火災で焼失していますが、慶安4年(1651年)に土佐二代藩主・山内忠義によって再建されています。かつては「山王清瀧権現」として信仰を集めました。
高知の札所に多いですが、清瀧寺も明治初期の廃仏毀釈で廃寺となって後に復活したパターン。
正式には醫王山(いおうざん)鏡池院(きょうちいん)清瀧寺(きよたきじ)といい、真言宗豊山派のお寺です。
清瀧寺の御本尊
清瀧寺の御本尊は薬師如来。
高さ154cmの等身大サイズの立像で、平安時代後期の作。国の重要文化財に指定されています。土佐市周辺では最古の仏像だとか。
清瀧寺の見どころ
清瀧寺で個人的に気になる&おすすめの見どころを写真つきでご紹介します!参拝される前にチェックして参考になさってくださいね。
とはいっても、参拝したのが雨の日だったので写真少なめです🙇♀️
仁王門がかっこいい!
(出典:四国八十八ヶ所霊場会公式ホームページ)
車で行ったので仁王門は見逃しましたが、仁王門の天井には再興にあたって明治33年(1900年)に描かれたという「八方にらみの龍」の天井絵があるそうです。写真を霊場会のホームページから拝借。
次回は絶対見たい。
2回目の参拝で見てきた。
仁王門は境内から続くやべぇ角度の階段を下りるとあります。歩き遍路さん以外は通らないので、ゆっくり拝観できました。
荘厳な本堂
清瀧寺の境内は横長で、それほど広くはありません。車を停めると、目の前にドーンと本堂が現れます。山を背に立つ本堂、荘厳でした✨
銅板の屋根がお寺というより神社っぽい雰囲気で、神仏習合の歴史を感じます。
現在の本堂は明治に再興された際のものと思われますが、精巧な彫刻が施されて素晴らしい✨
向拝には「干支恵方盤」がありました。こちらも彩色があり、とても立派でした。
大師堂も立派
本堂のすぐお隣には大師堂。
こちらもゴージャスな彫刻が施され、見ごたえがありました。扉がないのでお堂の中が丸見えなんですが、薄暗いため尊像の拝顔はできません💦
賓頭盧尊者
清瀧寺では大師堂の縁側に「賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)」がいらっしゃいます。
賓頭盧尊者は「びんずるさん」「おびんずるさま」と呼ばれ、”自分の体の悪いところと同じところをなでると病気が治る”と信仰されている「なで仏」です。
基本的に縁側に安置されている仏さまですが、小さなお堂に入っていることが多いので完全に野ざらしなのは珍しいパターン😂
お背中を見る機会はなかなかありません👏
地蔵堂
大師堂の左には地蔵堂があります。こちらもお堂の中は見えるものの、暗いため拝顔はできません。
背後の山には苔むした無数の石仏があり、ちょっと怖かった思い出。
観音堂
地蔵堂のさらに左には観音堂。こちらも同じく。
山裾に苔むした石仏や塔などがたくさんありますが、木々の緑の中にとけこんでいていい雰囲気でした。
ひそかにかわいい!厄除け薬師如来
清瀧寺といえば、この厄除け薬師如来像がシンボル的存在です。像の高さは台座を含めると15mもあり、本堂の屋根よりも高い!
厄除け薬師如来は中に入ることができ、無料で「戒壇巡り」ができます。
☟以下、清瀧寺の戒壇巡りの感想。
- 昭和初期に作られたため天井が低く、通路の幅は人一人が通れるギリギリのサイズ。大柄な男性だとかなり窮屈に感じると思います💦
- もちろん、地下に下りるので中はガチ真っ暗。88段ある階段は一段一段が低くて歩きにくく、足元注意です。
- 雨の日はすべるよ!
- 戒壇巡りをする場合は、薬師如来の御真言「おん ころころせんだりまとうぎ そわか」を唱えながら歩きましょう👏
最深部にたどりつくと現れる、ぼんやりと明かりが灯る薬師如来さまがとてもありがたく感じました。「戒壇巡りをすると生まれ変わりを体験できる」といわれているので、ぜひチャレンジを😆
戒壇巡りの所要時間は5分くらいで、それほど時間はかかりません。
戒壇巡りの後は、ぜひ像もじっくりご覧ください。台座は六角形で、それぞれの隅には狛犬のような獅子のようなかわいい像がいます😍
この子たちは薬師如来さまをお守りしているんでしょうか。
表面は苔で覆われていて、それはそれはモッフモフです。さわりたいけど、残念ながら届きません。。。
階段にもひそかに龍が潜んでいました✨
土佐和紙と関りが深い滝
”清瀧”寺という寺号のとおり、境内に滝があります。
参拝したときは水量が少なかったので、この写真では滝感はありませんが現地では水が流れ落ちる様子がバッチリ見えました👌
本堂から300mほど上の岩上に壇を築き、五穀豊穣を祈願して閼伽井権現と龍王権現に一七日の修法をした。満願の日に金剛杖で壇を突くと、岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったという。そこで山号や院号、寺名を現在のように改め、霊場とした。
この水は、麓の田畑を潤すことはもとより、「みつまた」をさらし、紙を漉くうえで重宝され、やがては土佐和紙産業をおこすことにも貢献している。(四国八十八ヶ所霊場会公式ホームページ「清瀧寺」より引用)
この水を使って作られる「土佐和紙」は平安時代から続く高知県の伝統工芸。
今でも御朱印帳などに使われる和紙の産地は京都と高知がツートップですし、明治時代には日本一の生産量だったとか。
琴平神社
清瀧寺はお寺の境内に琴平神社がお祀りされています。
文化12年(1815年)に武藤到和・平道の父子により編纂された土佐国地誌『南路志』によれば、江戸時代前期の寛文8年(1668年)に清瀧寺本堂が全焼した。寺院の防火および発展を祈願して金比羅が勧進されたと書かれている。これが当神社の起源と考えられており、創建は江戸時代前期17世紀末期と推定される。
本殿は一間社入母屋造平入り柿葺きで、正面に一間の向拝が付いている。「奉再建山神宮」の棟札に天保2年(1831年)の銘がある。江戸時代後期のこの年に建造されたと推定されている。現在、被屋で保護されている。平成8年(1996年)に高知県の保護有形文化財に指定された。(Wikipedia琴平神社(土佐市)より引用)
もともとは清瀧寺の鎮守社でしたが、明治以降は神仏分離で神社として独立し、地域の氏神さまとして信仰されているそうです👏
琴平神社は江戸時代に起きた清瀧寺の火災のあとこの地に勧請されたようです。お祀りされているのは「こんぴらさん」でおなじみの金刀比羅宮の御祭神と同じ大物主神(オオモノヌシノカミ)。
奉納された灯籠には「金比羅大権現」とありました。
かつては山の上のほうでお祀りされていたものが、Wikipediaにもあるように天保2年(1831年)にこの地に遷座したといわれています。
苔むした急な階段の上に御本殿があり、小さいながらとても立派な彫刻がありました。この御本殿は高知県の文化財に指定されている貴重なもの。
この鳥居越しに見る景色がきれいでしたが、写真なし。ぜひ現地でご覧ください。
高岳親王の逆修塔
写真は撮り忘れましたが、清瀧寺といえば「高岳親王の逆修塔」も有名です。
「入らずの山」として中に入ることはできず、フェンスで囲われているためただの山にしか見えませんが、「高岳親王塔」として高知県指定史跡になっています。
謎ワード連発ですが、ひとつずつ解説しますね😂
まず、「高岳親王(たかおかしんのう)」は平安時代初期の第51代天皇・平城(へいぜい)天皇の第三皇子で、「薬子の変」に関わったことから出家しました。
出家後は僧名を「真如(しんにょ)」と名乗り、空海十大弟子の一人となっています。
高岳親王は貞観3年(861年)に清瀧寺を訪れて「逆修塔(ぎゃくしゅうとう=生前墓)」を建て、翌年に天竺(インド)へ旅立ちました。その後は天竺で消息を絶ち、虎に襲われて志半ばで亡くなったといわれています。
高岳親王が建てた説のほかにも南北朝時代(1336年~1392年)に遺徳を慕った人々が建てたという説もあり、現在ではこちらが有力だとか。
絶景!
清瀧寺「醫王山」という山の中腹、標高130m地点にあります。海抜400mの位置。視界が開けていて、ふもとの街並みと遠くには太平洋も見えてなかなかの絶景!曇り空なのが残念です💦
納経所近くに展望台のような場所もあるので、ぜひ景色もご覧ください。
高知県は”修行の道場”といわれますが、札所の配置は海沿いが多いのが特徴です。こうして山の中にお寺がある場合でも、意外と海が見えます。
小坊主くん
清瀧寺の小坊主くん。
納経所バージョンもいました。「Nou Kyo Sho」という表記があり、ここ数年で増えてきた外国人のお遍路さんにもしっかりと配慮されていますね。
外国の方にも”のうきょうしょ”で通じるのかは謎ですが😂
まとめ
高知県の札所は24番から39番まで、35番札所清瀧寺からは土佐の札所もラストスパート!という感じ。車遍路にとっていりばんの難所である山道が修行の道場感を盛り上げてくれました😂
山を背にした荘厳な本堂、土佐和紙に欠かせない滝、戒壇巡りができる大きな薬師如来像などなど、コンパクトな境内ながら見どころがたくさんあるお寺でした😊
納経に対する姿勢の厳しさは四国霊場でも指折りクラス。とくに、奥の院のことには触れないことをおすすめします。。。
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おすすめのお立ち寄りスポット
清瀧寺の近くで御朱印がいただける神社仏閣や、あわせて行きたいおすすめスポットをまとめました。
松尾八幡宮
未参拝なんですが、気になるのがこちら松尾八幡宮。
清瀧寺に「逆修塔」を建てた高岳親王が京都の石清水八幡宮を勧請して創建したと伝わる、1100年以上の歴史がある神社です。
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神門でド迫力の鳳凰が迎えてくれます。これをめっちゃ見たい😆