阿波神社は県道12号線沿いにあってアクセスしやすく、周辺には神社仏閣が多いので鳴門市での御朱印巡りではぜひ参拝したい神社です🙆♀️
土御門天皇火葬塚とされる場所に鎮座され、かつては「天皇さん」と呼ばれて奉祀されていました。現在も火葬塚周辺は徳島では珍しい「宮内庁管轄地」となっています。
官幣大社への昇格が決まっていたものの、戦後に近代社格制度が廃止されたため叶わず。とても立派な社殿ですが、宙ぶらりんな感じで今に続いています。
阿波神社へのアクセス
阿波神社は県道12号線沿いにあり、場所はわかりやすいです。案内標識などはありませんが、車で近くを通ると火葬塚の鳥居や社号標が見えます。
入り口の微妙に邪魔な位置に歩道のブロックがあって、車をぶつける人が多いのでご注意を。
阿波神社の駐車場
阿波神社には参拝者が無料で利用できる駐車場があります。
県道に面した鳥居をそのまま車で通り抜け、車止めの手前を右側に行くと砂利敷きの駐車スペースがあります。普通車20台くらいは停められそうな広さでした。
公共交通機関でのアクセス
阿波神社に車以外で行く場合は、JRとバスが利用できます。
- JR鳴門線阿波大谷駅から徒歩8分、池谷駅から徒歩10分
- 徳島バス鳴門・大麻線に乗車し「阿波神社前」バス停で下車すぐ
阿波神社の御朱印
阿波神社は門を入ってすぐのところに授与所があり、そこで御朱印をいただけます。
阿波神社にはお守りやお札、おみくじなどの授与品がないので授与所は閑散としていますが、平日に何度か参拝したときでも無人のことはなかったです。
書き手の方は今まで若い女性と年配の男性のお二人がいましたが、どちらも美文字で美しい御朱印でした✨
阿波神社について
土御門天皇は承久の乱後、承久3年(1221年)に土佐国へ遷幸、貞応2年(1223年)にはさらに阿波国に移り、約9年後の寛喜3年(1231年)に崩御し、その行在所は守護所に近い勝瑞(藍住町)に比定する説がある。人々は土御門天皇火葬塚の北に通称「天皇さん」と呼ぶ土御門天皇社を奉祀、阿波志には「土御門天皇廟 池谷村天皇山南麓に在り」とみえる。その後、明治8年(1875年)に丸山神社と改称(鳴門市史上)。
昭和15年(1940年)には紀元二千六百年記念行事として、社名を阿波神社に改め、火葬塚の北東に隣接する現在地に新たに社殿を造営した。県民挙げての奉賛と勤労祀仕によって昭和18年(1943年)に竣工し、本殿座祭を斎行、県社に列した。(Wikipedia阿波神社より引用)
阿波神社の前身は土御門天皇火葬塚の北に作られた土御門天皇社で、当時は「天皇さん」と呼ばれていました。
明治8年(1875年)に「丸山神社」に改称され、紀元2600年事業として昭和18年(1943年)に阿波神社として現在の荘厳な社殿が作られました。阿波神社としての歴史は短いですが、「天皇さん」としては土御門天皇崩御の1231年頃から奉祀されていたと思われます。
四国で唯一の官幣大社への昇格が内定していましたが、戦後に社格制度が廃止されたため叶いませんでした。。。
阿波神社の御祭神
阿波神社の御祭神は第83代土御門天皇。82代後鳥羽天皇の第一皇子で、4歳で即位し16歳のときに後鳥羽上皇の意向により異母弟(第三皇子)に譲位しました。
承久の乱(1221年)によって後鳥羽上皇が隠岐へ、弟の順徳天皇が佐渡への流罪となり、土御門上皇は倒幕計画に関与していないもののご自身のみが京都にとどまることをよしとせず、自ら土佐へと御遷幸されました。
御遷幸のあと、何度も帰京をすすめられましたがこれを断り、せめてもう少し都に近い場所へと阿波に御遷幸の後、寛喜3年(1231年)に37歳の若さで崩御されました。
土御門上皇は争いを好まない温和な性格であったと伝えられ、和歌に造詣が深く「土御門御百首」「土御門院御集」として550余りの御製が残されています。
土御門天皇は阿波神社のほか大阪府の水無瀬神宮でも御祭神としてお祀りされていますが、こちらは官幣大社です。ぴえん🥺
阿波神社の見どころ
阿波神社で個人的に気になる&おすすめの見どころを写真つきでご紹介します!参拝される前にチェックして参考になさってくださいね。
土御門天皇火葬塚
県道沿いにそびえる白い石の鳥居。
この鳥居と「阿波神社」という社号標は見たことがある方も多いのでは。幹線道路に近いのに、木が生い茂っていてとても自然豊かな神社です。
この鳥居のすぐ左側に「土御門天皇火葬塚」があります。徳島では見る機会がほとんどない、宮内庁管轄スポット。
周囲には堀があり、中がどうなっているのかはぜんぜん見えません。火葬塚の両側には倍塚が2基あるそうですが、古墳界隈には詳しくないのでよくわかりませんでした。
この地で荼毘にふされたとされる土御門天皇の御遺骨は、京都府長岡京市の「金原陵(かねがはらのみささぎ)」に移されています。
夫婦松
参道の途中には「夫婦松」という御神木があります。
夫婦松があったあたりが、かつて「天皇さん」と呼ばれていた丸山神社の跡地だそうです。
昔は社地を横断する形で鳴門市撫養から三好市池田へ続く大きな街道があり、丸山神社付近を通るときには人々は襟を正し、馬に乗っている人は下馬して敬意を表していたとか。
夫婦松は黒松に赤松がくっついて一本の松として成長したとても珍しいもので、樹齢100年以上の木でしたが残念ながら枯れてしまいました。跡地に夫婦松の記念碑と、新しい松が植えられています。
格式の高さがうかがえる社殿
参道を進むと赤い屋根の神門が見え、神門の手前には手水舎がありました。
手水鉢には水がなく、蛇口をひねって水を出すセルフサービススタイルでした。
門をくぐると、立派な拝殿が!
こちらは神門と違って緑色の屋根でした。背後は山で、とても静かな環境にあります。
門から拝殿までは一面砂利敷きで、歩くたびにジャリジャリといい音がします。けっこう広いんですが、塀で囲まれているのでちょっと圧迫感が。
一方で拝殿は銅板の屋根が山の緑にとけこみ、視界をさえぎるものがないので奥行きが感じられました。そういう計算で作られているのかも🤔
拝殿の中には大きな絵馬がいくつか奉納されていて、ゆるい龍の絵がかわいい😂
がらーんとした境内は少し寂し気な印象でした。社殿は徳島では他に見ないほどの荘厳な造りですが、昭和18年(1943年)に作られたものなので、ちょっと傷んできています。
官幣大社への昇格が叶っていれば社殿もきちんと修復されて、きっと参拝する人も今より多くてにぎわっていたかもしれませんね🥺
まとめ
阿波神社は交通量が多い県道12号線沿いにありますが、参拝する人の姿はほとんどありません。社格制度がなくなったため官幣大社への昇格が叶わず、徳島では他にないほど荘厳な社殿ですが、がらーんとした広い境内は寂しい印象で、作りかけ感がありました。
近くには四国八十八か所霊場第1番札所霊山寺、奥の院東林院、宇志比古神社などがあり、神社仏閣がたくさんあるので、鳴門市で御朱印巡りをするときは阿波神社も参拝してみては。
山に囲まれているのでリフレッシュでき、ゆっくり参拝できますよ🙆♀️
▼近くの御朱印はこちら▼