忌部(いんべ)神社は徳島市二軒屋町にあり、徳島駅から2kmくらいとギリギリ徒歩圏内。徳島市内において、車がなくても参拝できる貴重な神社です✨
本来はとても長い歴史がある神社ですが、戦国時代の兵火によって所在地がわからなくなったため現在の場所に遷座したという微妙な経緯があります。県内にある他の「忌部神社」についてもちょっとだけ解説します🤗
忌部神社へのアクセス
忌部神社は眉山の中腹に鎮座しています。表参道は国道438号線に面していて、徳島市中心部からも近くて参拝しやすいです。
・神戸淡路鳴門自動車道鳴門インターから車で30分くらい
忌部神社の駐車場
国道438号線に面している表参道側には駐車場がありません。
眉山病院方面から車で上がると境内の手前に数台が駐車できるスペースがあり、無料で利用できます。
公共交通機関でのアクセス
忌部神社に車以外で行く場合、JRとバスが利用できます。
- JR徳島駅から約2km、徒歩30分弱くらいでギリギリ徒歩圏内
- 最寄り駅はJR二軒屋駅、駅からの距離は約600mで徒歩8分
- JR徳島駅から徳島市営バス 二軒屋・法花(ほっけ)行きに乗車し「金刀比羅下」バス停で下車、徒歩10分
忌部神社の御朱印
忌部神社は拝殿の左手前に社務所があり、そこで書いていただけます。社務所には呼び出し用のインターホンがあったので、無人の場合は押してみましょう。
忌部神社について
『延喜式神名帳』に載せる「阿波国麻殖郡 忌部神社」は名神大社にも列していたが、中世以降、兵火などにより所在が不明となり、近世以降、複数の神社が式内・忌部神社を主張していたため、明治4年(1871年)に暫時「所在地不明」のまま国幣中社に列格し、翌5年に麻植郡山崎村(現 吉野川市山川町)の村社忌部神社を式内忌部神社に決定した。これに対して美馬郡西端山(現 つるぎ町貞光)の五所神社(現 当社境外摂社御所神社)が式内忌部神社を主張し、翌々7年(1874年)に改めて山川町の忌部神社を比定するという太政官布告が出されたものの、その後も論争が続いたため、同14年(1881年)に五所神社を式内忌部神社に変更したが、今度は山崎側が大いに反発し、結局太政官による妥協策として名東郡富田浦町(現 徳島市)に新たな社地を定めるという通達を出し、同18年(1885年)に眉山中腹の現在地を選定、そこに鎮座する郷社金刀比羅神社に仮遷座して五所神社を境外摂社とし、社殿竣工により同25年(1892年)5月15日に現在地に遷座した。
(Wikipedia忌部神社より引用)
忌部神社は「阿波国麻殖郡 忌部神社」として延喜式(えんぎしき)にも記載され、名神大社に列せられたとても由緒正しい神社です。
歴史上の人物からの崇敬も篤く、屋島の戦いへ向かう途中に源義経が太刀を、那須与一が弓矢を奉納したといわれ、源頼朝が鎌倉幕府を開いた直後(1187年)に書いた忌部神社の所領を安堵する旨を約束した書状が残っているとか🤔
かつては「四国一の宮・忌部大神宮」ともいわれ、崇敬されてきました。忌部神社の歴史は神話の時代までさかのぼり、神武天皇の時代に忌部氏が粟や麻を植えて阿波を開拓し、この地に祖先を祀ったのが始まりとされています。
忌部神社では天皇が即位するときには大嘗祭のために「麁服(あらたえ)」を織り、献上するのが古来からの習わし。現在も忌部氏の末裔・三木家が大嘗祭用の麻を作り、宮内庁に調進しています。昭和から平成への代替わりのとき、麁服は山川町の忌部神社で作られました。もちろん、令和の大嘗祭でも調進しています。
忌部神社は所在地不明…
忌部神社はとても由緒ある徳島屈指の古社ですが、本来の所在地は不明。
所在地不明となった理由は地震で崩落したためとか、長宗我部元親の兵火によるものなど諸説あり。境内地が広大すぎた(一説によると「三里(16km)四方」とも😲)ので忌部神社を再建すると領地が減ることを初代徳島藩主・蜂須賀家政公が嫌がったという説も。。。
所在地不明となって以降、複数の神社が『我こそが忌部神社である!😡』と名乗りをあげて泥沼の争いを繰り広げたため、明治25年(1892年)に新しく現在地へ遷座。現在の忌部神社は式内社・忌部神社の「後継社」という位置付けだそうです💦
忌部神社の名乗りを上げた神社で、有力なのは以下の2社。
五所神社
美馬郡つるぎ町貞光に鎮座する五所神社(御所神社、吉良忌部神社とも)は現在は忌部神社の境外摂社となっています。こちらは社務所はなく無人で、拝殿ではセルフでお札を拝受できます(500円)。
「忌部神社奥社」ってかっこいい響きですね✨
「女神が宿っている」といわれる、樹齢400年のエドヒガン桜があるのは二軒屋の忌部神社ではなくこちらの五所神社で、神社のすぐ目の前にあります。この木は徳島県内で最大のエドヒガン桜で、高さ20m、幹回り4.5mの大木で見ごたえあり。
二軒屋の忌部神社からだと車で2時間かかります💦
御朱印はなぜか徳島市の春日神社でいただけるそうです。
山崎忌部神社
平成と令和の大嘗祭で麁服が織られたのがこの吉野川市山川町の山崎忌部神社。神社がある忌部山には古墳などの遺跡もあり、現在では式内社・忌部神社があったのはこの地ではないかと考えられています。
山崎忌部神社も基本的に無人なので授与品などはないですが、令和の大嘗祭を記念してスタンプやステッカーが作られました。御祭神の天日鷲命(アメノヒワシノミコト)を親しみやすいキャラクターにした「ヒワシくん」がデザインされています。
スタンプ押印&ステッカーの購入は以下の場所にて。それぞれの詳しい場所や連絡先などは拝殿にチラシが置いてあるのでご確認ください。
- 吉野川市アメニティーセンター
- 阿波和紙伝統産業会館
- 和菓子処西川
スタンプ:押印は無料(希望者のみ、手すきの阿波和紙の台紙を1枚200円で購入できます)
忌部神社の御祭神
忌部神社の御祭神は天日鷲命(アメノヒワシノミコト)。忌部氏の祖神で、天照大神の岩戸隠れの神話にも登場します。
忌部神社の御利益
忌部神社は縁結びや開運、所願成就の御利益があります。
女優の水野真紀さんが忌部神社で結婚式をしたことから、あやかりたいと思う女性の参拝が増えて縁結びの神社といわれるようになりました。
また、忌部氏は古代の阿波を開拓したことから建築や織物の守護神でもあります。
忌部神社の見どころ
忌部神社で個人的に気になる&おすすめの見どころを写真つきでご紹介します!参拝される前にチェックして参考になさってくださいね。
心臓破りの階段
見どころとはちょっと違いますが、忌部神社を参拝するときに立ちはだかる階段がヤバイ😂忌部神社があるのは眉山の中腹あたり、階段は約260段あります。「約」なのは登るのに必死すぎて、行きと帰りで数えた段差が合わなかったためです😗
断固階段を登りたくない!という方は、車で行きましょう。
灯籠には菊の御紋。階段沿いに点々と並んでいるので、明かりが灯るときれいでしょうね✨
狛犬つきの灯籠
階段の手前にはミニサイズの狛犬がついた珍しい灯籠がありました。
波と鳥の絵があってかわいい灯籠です。忌部神社のふもとにはお寺があるので、この灯籠の周囲にはお墓がたくさんあるので写真が撮りにくい💦
境内は意外と小ざっぱり
忌部神社の鳥居は独特な形。
名神大社・国弊中社という格式の高さから考えると、境内はやや寂しい印象。社殿も戦争で焼失したため、戦後にできた新しいもので、あまり忌部神社の歴史は感じれらません。
古代から朝廷との関係が深かった忌部神社は拝殿にも菊の御紋がいっぱいでした。
境内の隅にはひっそりと砲弾が祀られていて、明治37年・日露戦争記念、「戦利品」と書かれています。
かわいい狛犬
忌部神社の狛犬は変わったお顔で、歯並びがきれいです。フリルがついたラブリーな前掛けもかわいい。この狛犬は安永4年(1775年)製のけっこう古いものでした。
境内にあるミニ神社
忌部神社には由来が不明なお稲荷さんと小さなお社もお祀りされています。
参道入り口の手前には小さな「祇園神社」というミニサイズのお社もあります。
狛犬もミニサイズでかわいい。
まとめ
忌部神社にはもともとの所在地がわからなくなったという残念な歴史がありますが、かつて徳島のどこかに「忌部大神宮」が存在していたというロマンを感じます。
眉山の自然に囲まれた境内は、パワースポットといわれるだけの雰囲気はありました。
観光で来られた方でも比較的行きやすい場所なので、おすすめですよ。
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