金磯弁財天(かないそべんざいてん)は四国八十八か所霊場第18番札所恩山寺の奥の院。恩山寺の鬼門にあり、弘法大師が開基しました。
小さなお堂ですが、周辺には砲台跡があったり源義経が屋島の戦いに向かうときに上陸した場所だったり、狸の神さまがお祀りされていたりと見どころは盛りだくさんです。
金磯弁財天の納経は18番札所恩山寺で行っているので、恩山寺の前にお参りするのがおすすめです。
金磯弁財天へのアクセス
徳島市中心部から車で20分くらいの場所にあります。
県道120号線「金磯町」交差点から細い脇道に入り、住宅街の中の入り組んだ道を進むので場所は少しわかりにくいかもしれません。
途中から道路が未舗装になるのでご注意を。
金磯弁財天の駐車場
金磯弁財天には駐車場はなく、境内に停める形でした。手前の松原にも駐車場があります。
駐車料金はどちらも無料です。
公共交通機関でのアクセス
金磯弁財天に車以外で行く場合は、JRとバスが利用できます。
・JR牟岐線阿波赤石駅から約2km、徒歩25分くらいでギリギリ徒歩圏内
・JR徳島駅から徳島バス丹生谷線又は富岡・橘線に乗車し「金磯」バス停で下車、徒歩5分
金磯弁財天の御朱印
金磯弁財天には寺務所などはなく無人で、納経は恩山寺で行っています。納経料は300円です。
金磯弁財天の御影
金磯弁財天で納経をすると、御本尊のお姿を描いた御影(おすがた・おみえ)が無料でいただけます。
女神が現れたときにはあたりに梅の香りが漂い、迦陵頻伽が舞っていたという伝説通り、御影もにぎやかです。
金磯弁財天について
金磯弁財天は弘法大師によって延暦年間(782年~806年)に開基され、この地に堂宇が建立されたのは戦国時代から江戸時代初期にかけてといわれています。
神社の雰囲気ですが、恩山寺と同じく高野山真言宗のお寺です。
現在は陸続きですが、宝暦12年(1762年)までは島でした。昔は陸地から数百メートル離れていて、干潮時には砂浜を歩いて参拝することができたようです。エンジェルロード的でいいですね。
金磯弁財天の御本尊
金磯弁財天の御本尊は弁財天。
弘法大師が18番札所恩山寺で修行をしていたとき、遠くに見える海に光るものを見つけて島に渡ると美しい女神が現れ、一晩中仏法について語り合いました。朝になると女神は『私は昔からこの海を守る弁財天である』と正体をあかし、龍の姿になって海に帰っていったという伝説があります。
その後、弘法大師がこの地に弁財天をお祀りしたことが金磯弁財天の始まりです。
金磯弁財天の見どころ
狛犬が守る本堂
こちらが金磯弁財天の本堂。狛犬が鎮座していて、お寺感がありません。入り口に仁王門や山門もなく、いきなり本堂がデーンと迎えてくれます。
台風の被害か、瓦がボロボロでビニールシートで覆われていました。
狛犬はかわいい水玉模様の前掛けをつけていて、足元にはお供えが。五目おこわっぽいおにぎりと豆大福、供えられたばかりのようで、地元の人がこの場所を大切にしているのがうかがえました。
急斜面に無理やり作られたような本殿(奥殿?)が不思議。この不自然にせり上がった本殿の下には謎の石碑があります。いったい何を祀っているんでしょうか。
気になる浦島太郎
本堂には立派な彫刻、浦島太郎です。波の間には竜宮城、手にはしっかり玉手箱を持っています。
右側から見ると、浦島太郎がでっかい亀に乗っているように見えます。長いしっぽの神さま的な亀さんです。
龍の彫刻もかっこいい。
本堂脇の謎の祠
本堂の隣には小さな祠がありますが、何がお祀りされているのかは不明。
お賽銭箱の両サイドにはミニミニサイズの狛犬さんがいます。
前掛けがおくるみになってる。本堂前の狛犬さんの前掛けと同じものだと思われるので、小ささがわかりますね。
阿吽が逆なのは何か意味があるのかな?
天然記念物のアコウの木
金磯弁財天の境内には木が生い茂っていて、ジャングルのようでした。
ひときわ大きな珍しい木は「アコウの木」という札をぶら下げています。アコウは熱帯性の植物で、これは「金磯のアコウ」として天然記念物に指定されていて、自然分布の北限だそうです。貴重なものでした。
これより奥には謎の石像や砲台跡があったり、謎の集会所があったりとカオスでした。遊歩道があり、散策できるようになっていますが、お参りの時間の都合でそこまでは行けてません。山の上には鳥居があって謎の神像があり、海岸に出る道もあるそうですよ。お時間があれば、ぜひ散策してみては。
狸もいます
アコウの木の根元には小さな祠があって、狸がお祀りされています。
「祐七大明神」という狸の神さまで、子供が大好きで子供に化けて相撲をとったり、漁師と相撲をとって勝てばご褒美に魚をもらったりと人畜無害なタイプ。相撲大好きな狸なので、昔は金磯弁財天の境内に土俵があって、子供たちによる奉納相撲も行われていたそうです。
祐七大明神は商売繁盛、縁談、勝負ごと、子供の諸願成就に御利益があります。
源義経ゆかりの地
金磯弁財天がある蓬莱山(弁天山とも)の沖には小さな岩がいくつかあって、源義経が上陸したという伝説があります。寿永4年(1185年)、大阪からわずか20隻の船で出航し、嵐のなかたどりついたのがこのへん。
上陸前に船を集めた場所が「兜岩」や「室岩」と呼ばれて、今でも残っているそうです。この写真に見える岩ではなく、もっと沖合っぽいです。
ここから「屋島の戦い」で有名な香川県高松市の屋島へと向かい、板野郡あたりにも義経が戦勝祈願をした神社仏閣やゆかりの地がいくつかあります。
四国八十八か所霊場では、第3番札所金泉寺で義経が戦勝祈願をしていますよ。
また、恩山寺の近くには義経が源氏の白旗を立てて軍議を開いたという「旗山」が史跡として整備されていて、高さが6.7メートルある日本一の義経騎馬像があります。
金磯弁財天から旗山までは車で10分くらいなので、あわせて行ってみては。
まとめ
海沿いの札所がほとんどない徳島県では珍しく、海が見える場所にあって新鮮な金磯弁財天。位置的には18番札所恩山寺と19番札所立江寺の間ですが、納経は恩山寺で行っているので先に参拝するのがおすすめです。
参拝する人の姿はありませんでしたが、きれいに清掃されていて新しいお供えもあり、近所の人がきちんと手入れをしている雰囲気でした。
時間があれば周囲を散策すると謎の像がたくさんあって、面白い場所ですよ。源義経ゆかりの地なので、歴史好きな方にもおすすめです。
▼金磯弁財天の納経を行っている18番札所恩山寺はこちら▼