童学寺(どうがくじ)は徳島市のすぐ西隣、名西(みょうざい)郡石井町にあります。白鳳時代に創建された古刹で、弘法大師が幼少時代にこの地で学問にはげみ、いろは文字を発明したという伝説があります。
とても歴史あるお寺ですが2017年3月に火災が発生し、残念ながら本堂が全焼する被害にあいました。現在は本堂隣の聖天堂が仮本堂となっていて、火災から無事に救い出された御本尊が安置されているので参拝は問題なくできますよ。
★童学寺は複数の霊場で札所となっていて、御朱印は2種類あります。
- 四国別格二十霊場第2番
- 四国三十六不動霊場第11番
童学寺へのアクセス
国道192号線から県道20号線へ入り、新童学寺トンネルの少し手前に童学寺への入り口があります。
県道の曲がり角には大きな看板がありますが、入り口への看板は小さくて、細い道なのでちょっとわかりにくいかもしれません。「有誠園」の看板のほうが目印になるかも。
童学寺の駐車場
坂道を上がり切ったところに参拝者が無料で利用できる駐車場がありますが、台数は少なめでこの駐車スペースに停められるのは7~8台くらい。ため池の手前にも3台くらいは駐車できそうなので、通常時の参拝で駐車できないということはなさそうです。
車道は奥まで続いていますが、途中に「進入禁止」の看板がありこの駐車場より奥には進めません。行事のときなどは鐘楼門奥の広場も駐車場として開放されると思います。
公共交通機関でのアクセス
童学寺は最寄り駅・最寄りバス停から微妙に遠いので、車で行くのがおすすめです。
・JR徳島線石井駅から約2.5km、徒歩30分
・JR徳島線下浦駅から約2km、徒歩25分
・徳島バス神山線(石井)に乗車し「有誠園前」バス停で下車、約600m
前後の札所
■四国別格二十霊場
1番札所大山寺から14.7km
3番札所慈眼寺まで48km
■四国三十六不動霊場
10番札所東禅寺から4km
12番札所建治寺まで9km
童学寺の御朱印
仮本堂に上がる階段の左手にプレハブの仮納経所があり、2種類の御朱印がいただけます。
四国別格二十霊場
別格二十霊場の御朱印は「薬師如来」。納経料は300円です。
四国三十六不動霊場
四国三十六不動霊場の御朱印は「脳天不動」。四国三十六不動霊場はバインダー式納経帳で巡礼しています。表と裏の2枚セットで、納経料は300円です。
御影
左:納経をすると無料でいただける四国別格二十霊場の御影
中:納経をすると無料でいただける四国三十六不動霊場の御影
★右下の金色の童子さんカードは別途300円が必要です。
童学寺の納経受付時間
童学寺の納経受付時間は7:00~17:00までです。
童学寺について
童学寺は白鳳年間(通説では650年~654年の間を指す)に行基菩薩によって開基されました。童学寺の近くには「石井廃寺跡」という古代の寺院跡があり、これが童学寺の前身であるという説も。
弘法大師が幼い頃に童学寺で書道や仏教を学び、「いろは文字」を発明したといわれています。
弘仁6年(815年)に再び童学寺を訪れた弘法大師が伽藍を整備し、薬師如来、阿弥陀如来、毘沙門天などの尊像を刻んで安置しました。
天正年間(1573年~1592年)には長宗我部元親による兵火で全焼しています。元禄年間(1688年~1704年)に肥後国(熊本県)より来錫した僧・堪霊により再建されました。
平成29年(2017年)3月25日、漏電が原因とみられる火災によって本堂が全焼しました。2023年の再建を目指していて、一般の参拝者も募金などの支援ができます。詳しくは納経所でお尋ねください。
正式には東明山(とうめいざん)童学寺(どうがくじ)といい、真言宗善通寺派のお寺です。
弘法大師学問所
弘法大師が7歳から15歳まで童学寺で書道や密教を学んだという由緒から、学業成就のお寺として信仰されています。
弘法大師は讃岐生まれ讃岐育ちですし、71番札所弥谷寺など香川県のお寺でも幼少期の弘法大師が勉強をしたという伝説がありますよね。なので、お大師さんが童学寺で本当に勉強したかというのは実際のところは微妙だと思いますが、もともとの寺号(光明寺)から「童学寺」へ改称したことが根拠とされているようです。
童学寺の御本尊
弘法大師作と伝わる薬師如来は国の重要文化財に指定されています。御本尊は長宗我部元親による兵火でも無事で、2017年の火災からも救いだされています。
納経するといただける御影には御本尊は「国宝」と書かれていますが、これはおそらく”旧国宝”のことで、現在は「国指定の重要文化財」です。
童学寺の不動明王はぼけ封じや中風除けに御利益がある「脳天不動」として信仰されています。
童学寺の見どころ
鐘楼門が顔みたいでかわいい♡
遠くからみると顔みたいな、おにぎりみたいな、かわいい鐘楼門は童学寺のシンボル。ほんのりと中国風な印象を受けます。
ただし、近くで見ると下品な落書きだらけで本当に残念。落書きというか、半数以上が直接壁に彫りこまれていて、修復不可能です。これは私が子供の頃、平成初期にはすでにこの状態でした。
門の先には見どころいっぱい!
鐘楼門をくぐり、水子地蔵が並ぶ参道を抜けると注連柱のような門柱があり、その先にすぐ仮本堂となっている聖天堂が見えます。童学寺はそこそこ広い境内のお寺なんですが、山際にあるうえ参道に大きなため池もあるので、開放感はあまりありません。
門柱の脇には「不許酒肉五辛入界内」と書かれていたと思われる石柱がありました。
いろは大師
幼少期に童学寺でいろは文字を開発したという伝説にちなみ、「いろは大師」という像もあります。でも、子供の頃ではなく完全に晩年のお姿なのはなぜ…?
三宝荒神と謎観音
鎮守として三宝荒神がお祀りされています。
三宝荒神の隣には「阿波先住霊観音」という謎の観音さまも。
阿波の古代から現代に至る先住霊、原住霊のかたがたをお救いくださるため、御姿を現わされた観世音菩薩様です。
私達が自分の先祖やこの土地に住まわれた方達を心をこめて御供養すれば、どんな困難な時代にも、子孫を守り導く力を頂けるものと信じています。
弘法大師様ゆかりの童学寺をお選びくださいました観音様に、安寧立命の境地で日々を過ごすことができますよう、そしてこの阿波を、日本を、地球を、宇宙を、永遠にお守り頂けますよう祈念いたします。
(現地由来から引用)
後半は徳島を飛び出してかなり壮大になっていますが、要するに阿波国のすべての祖霊を供養するための観音さまですね。童学寺にお参りする徳島県民はぜひ拝んでおきましょう。
仮本堂です
現在は聖天堂が仮本堂となっています。
聖天堂にもともとお祀りされているのは「大聖歓喜天(だいしょうかんぎてん)」という仏さま。
お聖天さんは大根が大好物らしく、大根絶ちを誓って祈願すると『えっ?お前大根食べられないの?かわいそう!』とお思いになるのか、早く願いごとを叶えてくれるという説があります。ただし、約束を破ると重めの罰を与えてくることでも定評があるので、お聖天さんにはうかつに願掛けをしてはいけません。
聖天堂の中の幕や奉納絵など、大根モチーフでいっぱいでした。
扉はいつも開放されていますが、聖天堂は奥殿もあるので奥行きがすごい。遠くに見えるお厨子には御本尊が安置されているんでしょうか。
手前には弘法大師像や大日如来、不動明王、地蔵菩薩なども安置されています。
火災の前は聖天堂の隣に本堂がありました。石段は無事ですが、現在は立ち入り禁止となっています。子供の頃に何度か参拝したことがあるんですが、残念ながら本堂がどんな感じだったのかが記憶にない。
火災のあとは完全に更地になっていて、横から見ると聖天堂が丸見えになっています。聖天堂の奥殿の全景がきれいに見えるのは今だけ、再建されるまでがチャンスですよ。
本堂は2023年の再建を目指しているそうですが、まだ何もなくてガランとしています。
キリシタン灯籠
聖天堂の前には「キリシタン灯籠」があります。これは石井町の有形文化財に指定されていますが、案内板は離れたところにあり、灯籠だけポツンとあるので見逃しがち。
案内板の説明は以下のとおり。
歓喜天童前に立てられた花崗岩製の灯籠で、全高170cm、笠部は58cm角、竿石断面は幅32cm奥行25cmを測る。竿石に十字形および人物像をあしらい、下部は土中に直接埋設し台石を欠くという、切支丹灯籠と呼ばれるものと共通する造形的特徴をもつ。また、この造形は利休七哲の一人として名高い古田織部が好んで用いたとされることから織部灯籠とも通称される。キリシタンの信仰との関連性は不詳だが、側面には奉納者として武市左馬助の名が刻まれ、寛永年間(1624~1644)の後半頃に奉納されたと伝えられる。
(境内案内板より引用)
キリシタン灯籠は珍しいものではありますが、意外とお寺には残っています。徳島だと徳島市の瑞巌寺にもあり、淡路島には淡路島七福神の弁財天を祀る智禅寺にそれっぽいものがありました。
ミニ霊場いっぱい!
童学寺には四国八十八か所、四国別格二十霊場、西国三十三観音霊場の写しがあります。どれかひとつならそれほど珍しくありませんが、全部揃っているのはかなり珍しいのでは。とくに、別格霊場の写しはレアだと思いますよ。
写真右奥にあるのが大師堂で、大師堂のさらに右側にミニ八十八か所、大師堂の左側にミニ別格霊場、写真左に見える回廊にミニ西国霊場があります。徳を積みまくれるボーナスステージでした。
ミニ四国八十八か所霊場
ミニ88か所は山や参道にお祀りされているパターンが多くて、距離が長かったり、意外とガチ登山だったりで気軽にお参りできない場合もありますよね。
その点、童学寺はひと味違う。
ずらっと88か寺分が一直線に並んでいて、圧巻の眺めでした。お砂ふみとなっているので、この丸い石の上を歩きましょう。県ごとに色が分かれているので、区切りがわかりやすいです。
9番札所法輪寺の御本尊は「涅槃(ねはん)釈迦如来」ですが、童学寺のミニ88か所では断固として入滅しないスタイルの釈迦如来座像でした。
ミニ別格二十霊場
ミニ別格霊場は大師堂隣のお堂の中にあり、「遍照」という扁額がかかっています。
正面には別格二十霊場第8番の「十夜ヶ橋(とよがはし)」。
お大師さんが四国巡錫中にどうしても宿泊できるところがなく、仕方なく橋の下で寝たとき、野宿の不便さから一夜が十夜に思えるほど長く感じたという逸話にちなんでいます。
西照大権現と金比羅大権現のやんちゃコンビ。
文殊院はたしかに衛門三郎ゆかりのお寺ですが、さすがに御本尊は文殊菩薩。
12番札所焼山寺の近くに衛門三郎終焉の地があります。
ミニ西国三十三観音霊場
なぜか西国コーナーでは1枚も写真を撮ってません。解せぬ。
回廊には弘法大師の生涯を描いた奉納絵があります。なかなかかわいらしいタッチで好き。これは唐から日本へ帰国するとき、『唐でマスターした密教を広めるのにぴったりな場所まで飛んでけー!』と三鈷をぶん投げる名シーン。この三鈷が落ちた場所が高野山といわれています。
もちろん、御年7歳で『私は人々を救うために将来は仏門に入りたい、願いが叶わないならこの身を捨てる』と言い、断崖絶壁からジャンプしたシーンも。
このとき身を投げた崖が73番札所出釈迦寺の奥の院「捨身ヶ嶽禅定(しゃしんがたけぜんじょう)」なので、参拝するときはぜひチェックしてくださいね。
拝顔はできませんが、西国コーナーがある回廊には烏枢沙摩明王がお祀りされています。ストレートに「便所の神さま」と書かれていますが、ぜんぜん便所じゃない場所にお祀りされていました。
回廊にはずらっと西国霊場の観音さまの石仏が並んでいて、いちばん奥には焼けた板がまとめて置かれていました。
本堂の一部でしょうかね…。なんか切ない。
大師堂
いちばん奥にあるお堂が童学寺の大師堂です。火災直後はこちらが仮本堂となり、しばらく御本尊と脳天不動が安置されていました。
大師堂の中には元大工の男性が1年がかりで作ったという巨大な七重塔が奉納されています。すごく細かい作りで、扉のガラス越しに見えますよ。
大師堂の扁額には「稚児大師」とあります。
大師堂の奥には池があり、小さなお社がお祀りされていました。弁財天ですかね。
お迎え童子はここ!
四国三十六不動霊場のお寺にはそれぞれ担当童子がいて、「お迎え童子」という像もあります。
童学寺では「羅多羅(らたら)童子」をお祀りしているので、羅多羅童子さんがお出迎え。童子さんがどこにいるかはお寺ごとにバラバラですが、童学寺では納経所の奥にいました。
また、四国三十六不動霊場では童子さんごとにそれぞれの”教え”があります。羅多羅童子さんの教えは「腹を立てないようにしましょう」。教えのとおり、にこやかなお顔で心が広そうでした。
現在は砂利敷きで何もない広場ですが、火災前はここに庫裡があり、本堂につながる渡り廊下の下をくぐってお参りしたようです。
脳天不動とお筆の加持水
基本的に御真言って覚えにくいですが、羅多羅童子さんの御真言は覚えやすいです。「おん らたらた らま そわか」、名前アピールがすごい。「らたらた」の響きがラブリーです。
脳天不動の奥には「お筆の加持水」が湧きだしています。
幼少期の弘法大師が硯(すずり)の水を探して掘り当てたという湧き水で、口にすれば病気平癒に、お筆の加持水で書道をすれば達筆になれるという御利益が。
奥には豪快な庭園が広がっています。室町時代に作られたもので、石井町指定名勝になっています。夏には蓮が咲いていてきれいでした。火災前はこの庭に入って見学ができたそうですが、現在は立ち入り禁止です。
藤のお寺
童学寺がある石井町は藤の花が有名。藤の名所として有名なのはJR石井駅近くの地福寺ですが、童学寺にも大きな藤棚があり、ゴールデンウィーク前後に開催される石井町藤まつりの会場になっています。
藤棚では紫、ピンク、白の三色の藤がグラデーションになっていました。
まとめ
童学寺は白鳳年間に創建されたとても歴史あるお寺。御本尊の薬師如来像は旧国宝で、長宗我部元親の天正の兵火でも2017年の火災でも無事でした。
本堂があった場所はまだ再建前なので何もないですが、聖天堂が仮本堂となっているので参拝は可能。四国別格二十霊場と四国三十六不動霊場の札所となっていて、2種類の御朱印がいただけます。
山際にあって自然豊かな境内は季節の移ろいを感じることができ、とくに藤の花が有名。大きな藤棚があり、石井町藤まつりの会場にもなっています。毎年4月下旬から5月上旬にかけてが見ごろなので、藤の季節に参拝してみては。